槍ヶ岳登山ルートの特徴

標高3,180mで日本第5位の高さを誇る槍ヶ岳は(1位富士山、2位北岳、3位奥穂高岳、4位間ノ岳) 、日本百名山の中でも飛び抜けて人気のある山です。

北アルプスを縦走する為の要所であり、ランドマーク的な存在でもある槍ヶ岳。南方向の穂高岳へと続く主稜線、北鎌尾根、東鎌尾根、西鎌尾根の各尾根筋ルート、槍沢、飛騨沢の各沢筋ルートなど、全部で6ルートが槍ヶ岳山荘の所で合流しています。

各ルートはそれぞれ難易度が異なり、初心者でも簡単に登れる槍沢ルート、飛騨沢ルート、エキスパートのみに許された北鎌尾根ルートなど。それぞれの経験、実力によって選ぶことが出来る大変魅力的な山域と言えます。

多くの登山者があこがれる槍ヶ岳ですが、その山容から想像するほどの難しさはありません。 槍の穂先と呼ばれる高さ100mほどの部分のみが核心部です。

代表的な槍沢ルート、飛騨沢(新穂高温泉から)ルート、西鎌尾根ルートともに槍ヶ岳山荘までは歩く距離が長いだけで難しい所はありません。

一方、表銀座縦走ルート(東鎌尾根)は鎖場が随所にあったり、ほぼ垂直で高度感のある梯子が架かっているなど、登山初心者にはやや難しいルートです。

槍ヶ岳の地図

槍ヶ岳の山小屋

北アルプス山小屋
槍ヶ岳山荘
槍ヶ岳山荘
北アルプス山小屋
ヒュッテ大槍
ヒュッテ大槍
北アルプス山小屋
ヒュッテ西岳(ひゅってにしだけ)
ヒュッテ西岳
北アルプス山小屋
槍平小屋
槍平小屋
北アルプス山小屋
槍沢ロッジ
槍沢ロッジ
北アルプス山小屋
横尾山荘
横尾山荘
北アルプス山小屋
穂高平小屋
穂高平小屋
北アルプス山小屋
氷壁の宿・徳沢園
氷壁の宿・徳沢園
北アルプス山小屋
徳沢ロッヂ
徳沢ロッジ
北アルプス山小屋
わさび平小屋
わさび平小屋
北アルプス山小屋
鏡平山荘
鏡平山荘
北アルプス山小屋
双六小屋
双六小屋

槍ヶ岳のアクセス

北アルプス登山口-アクセスと駐車場
上高地のアクセスと駐車場
上高地のアクセスと駐車場
北アルプス登山口-アクセスと駐車場
新穂高温泉のアクセスと駐車場
新穂高温泉のアクセスと駐車場
北アルプス登山口-アクセスと駐車場
中房温泉登山口のアクセスと駐車場
中房温泉登山口のアクセスと駐車場

槍ヶ岳の登山コース概要

① 槍沢ルートで槍の穂先

殺生ヒュッテ分岐の上部
殺生ヒュッテ分岐の上部

槍沢ルートは上高地から梓川を遡上し、緩い登りが槍ヶ岳山荘まで続く、登山初心者にとって難易度が低く最も人気あるルートといえます。代表的な登山ルートである槍沢は氷河活動によって出来たU字谷です。

そして、槍沢上部にはいくつかのカールやモレーンが形成されています。特に「氷河公園」とも呼ばれる天狗原カールでは、天狗池の水面に映る「逆さ槍」が赤く染まったナナカマドと絶妙な景観を作り出す人気の撮影ポイントになっています。

槍沢ルートは上高地から登山:10時間20分、下山:8時間00分です。したがって、日帰り登山は健脚者でも困難です。

槍沢ルートは多くの登山者が使う主要ルートです。槍ヶ岳山荘までなだらかな登りが続き、2日間かけてゆっくりと高度を上げていくので歩行行程が長いのですが登山初心者でも難なく到着することは可能です。

出発地の上高地から梓川に沿って上がります。 河童橋を渡って梓川の右岸(左側)を行くルートには水辺を縫うように木道が設置され明神池まで続きます。 左岸(左側)のルートは樹林帯の中にあり風景はよくありませんが、15分ほど短縮できます。明神池で二つのルートは合流し、横尾山荘へ向け遊歩道のようななだらかな道を歩いて行きます。

徳沢から少し進んだ左手に全長80メートルのつり橋があります。往年の名クライマー新村正一氏の名を冠した「新村橋」です。新村橋を渡れば奥穂高岳・北穂高岳へ入るパノラマルートです。新村橋を左手に見送り、横尾山荘前を直進し、車が通れるほどの広い遊歩道を5分ほど歩き登山道へ入って行きます。

梓川源流の左岸(右側)に沿ってなだらかな登山道を進み、一ノ俣谷と次いでかなりの急流である二ノ俣にかかる堅牢な橋を渡ります。槍ヶ岳を開山した播隆上人は「行伏記」に「これらの谷川を苦労の末、渡渉した。」と記しています。
この辺りから梓川の源流は、槍沢と名前を変えます。槍沢に沿ってよく整備された登山道を登ると水場、風呂の完備した槍沢ロッジに到着します。 ここまで上高地からの標高差320m、歩行約5時間の行程です。
健脚者なら槍の肩に建つ槍ヶ岳山荘まで一日の行程で行くことも可能でしょう。

槍沢ロッジ横のヘリポートには槍の穂先に向けた双眼鏡が設置されています。双眼鏡を覗き込み、槍ヶ岳の天候を確認し出発します。少し登ると木々の間からわずかに展望が開けてきます。右手前方に目をやるとカブト岩と呼ばれる奇岩が峻立しています。その傍を通過し、槍沢キャンプ地のあるババ平に向け緩やかな登山道を登ります。

ババ平は旧槍沢小屋跡地でキャンプ指定地になっています。水は上部からホースで引かれ、簡易トイレも設置されています。ババ平付近は遅くまで雪渓が残り、スノーブリッジが崩壊する恐れがあるので割れ目などには近づかないことが肝要です。
この先、ババ平から左岸は赤沢山の岩壁、右岸は横尾尾根の岩壁によって作られたU字谷が顕著になり、槍沢の谷は大曲で大きく左にカーブしていきます。

カーブの途中「大曲」で東鎌尾根の最低鞍部にある水俣乗越に登り上げる分岐を右に見送り、徐々に傾斜は増していきます。
(大曲から東鎌尾根の最底鞍部の水俣乗越まではダケカンバの中をジグザグに登るルートで難所はありません。)

大曲から見上げると左手には大きい岩稜のツバメ岩、その先には槍ヶ岳から穂高連峰に通じる稜線上の山々(大喰岳・中岳)が見えてきます。そして、氷河で削る取られたスプーン状の窪地の末端に出来る槍沢モレーンも確認出来ます。

天狗原分岐から少し上がった所の水場で水を補給し、グリーンバンドとも呼ばれる大槍モレーンを覆うハイマツの中をジグザグに登り、左方向に進路を変え進むと、あこがれの槍ヶ岳が姿を現します。
またこの近くに播隆上人や日本アルプスの父と言われるウォルター・ウェストン等も使用したとされる自然の岩屋・坊主ノ岩小舎があります。

ヒュッテ大槍への分岐、次いで殺生ヒュッテへの分岐をやり過ごし、槍の肩に建つ槍ヶ岳山荘に向け、殺生カールの中に刻まれたガレ場をジグザグに登ります。

槍ヶ岳山荘は定員650名の大きな山小屋で、槍ヶ岳山荘に併設された慈恵医大槍ヶ岳診療所ではボランティアによる山岳診療が行われています。
標高3,060mにあることから「雲の上の診療所」とも言われ、毎年7月20日~8月20日の約一ヶ月間開所されています。

槍ヶ岳山荘から空身で標高差100mの槍の穂先に取り付きになります。槍ヶ岳山荘から「槍の穂先」を見上げると垂直な壁に見えますが、実際に登ってみると鎖場の傾斜はさほどきつくなく、あまり高度感を感じません。

傾斜70度、長さ6mほどの一回目の梯子の下までは傾斜は比較的緩くステップもしっかりあるので難なく登れます。
次に短い梯子を登り切った所からの岩登りがやや難しくなります。 スラブ状で足を掛けるステップがあまり無いため、スラブの中央に打ち込まれた鉄製の杭は大変助かります。 特に雨の日などスラブ状の岩のためスリップしやすいでしょう。 槍の穂先への登山用ルートの中で、この部分が核心部と言ってよいでしょう。

槍ヶ岳山頂直下には2連で架かる斜度約80度の梯子(最初は17段・約5m、続いて31段・約9m)があり、さすがに高度感を覚える所です。特に二段目の梯子は下を見ずに上がりましょう。 この梯子を登りきると360度の展望をほしいままにできる槍ヶ岳山頂に飛び出します。

槍ヶ岳の山頂には祠が祀られ、雷が落ちないように釘は使用されていないそうです。文政11年(西暦1828年) に播隆上人によって三体の仏像が山頂に安置されたとされていますが、紛失し現在はありません。代わりに小祠が祀られています。

「槍の穂先」では一部を除いて登りと下りでルートが異なります。 しかし、人気の山だけあって土日や夏休みは大変な混雑となり、山頂往復が3時間となることもまれではないようです。
山頂は約20人ほどで一杯ですから、ゆっくり槍ヶ岳を満喫するには上記日程をずらすことが賢明です。

コースタイム

  • 登山:上高地⇒槍ヶ岳 10時間20分
  • 下山:槍ヶ岳⇒上高地 8時間00分

槍沢ルートで槍の穂先の難易度

難易度 6/10

体力  4/10 (1泊)

飛騨沢ルート

飛騨沢ルート 笠ヶ岳山腹より
飛騨沢ルート 笠ヶ岳山腹より

最短で登れる飛騨沢ルートのコースタイムは新穂高温泉ロープウェイ下の駐車場から登山:9時間30分、下山:6時間20分です。4月から10月の間は登山口に北アルプス山岳遭難対策協議会と岐阜県警察本部が運営する新穂高登山指導センターが開設され、各種登山情報を得ることが出来ます。

新穂高温泉から登る槍ヶ岳飛騨沢ルートは、 槍ヶ岳への最短ルートです。
ここでは槍ヶ岳から下山道として使う場合のルートを紹介します。
上高地を登山口とする槍沢ルートが定番ですが、上高地にはシャトルバスで入る必要があり、やや不便を感じます。

一方、 新穂高温泉からはマイカーを無料駐車場に入れれば、すぐに登山道へ入れる為、時間に融通がききます。新穂高温泉へは東京や大阪から定期バスが乗り入れてますので、公共交通機関で来る場合でも大変便利です。

槍沢ルートと同様に危険個所は全くありませんが、景色という点では槍沢ルートに軍配が上がるでしょう。

槍ヶ岳山頂から下り、槍ヶ岳山荘前を通過し、テント場を過ぎると、下方に大喰岳と槍ヶ岳との鞍部にある飛騨乗越に立つ指導標が見えます。さらに飛騨乗越から登山口の新穂高温泉方面へ下る登山道が飛騨沢に沿ってジグザグに刻まれているのが確認出来ます。

飛騨乗越の指導標の前に立って槍平方面を見ると、飛騨沢が大きく左の方にカーブしているのが見えます。 ザレた道をジグザグに降りて行き、樹林帯に入る直前で千丈沢乗越分岐に到着します。千丈沢乗越分岐から登れば西鎌尾根の千丈乗越へと至ります。 千丈分岐には山小屋の御好意により救急箱が置かれています。

千丈沢乗越分岐から少し下った所から正面に目をやると丸いお碗を伏せたような笠ケ岳がくっきりと見えています。樹林帯の中へ入って行くとしばらく単調な登山道が続きます。 最終水場を左手に見送り、少し下ると槍平小屋へと至ります。

コースタイム

  • 登山:新穂高温泉⇒槍ヶ岳 9時間30分
  • 下山:槍ヶ岳⇒新穂高温泉 6時間20分

飛騨沢ルートの難易度

難易度 1/10

体力  4/10 (1泊)

表銀座縦走ルート(燕岳~西岳)

表銀座縦走ルート(燕岳~大天井岳)
表銀座縦走ルート(燕岳~西岳)

中房温泉を登山口とし、喜作新道、東鎌尾根を経由して槍ヶ岳へ行くルート(燕岳→大天井岳→赤岩岳→西岳→槍ヶ岳)を表銀座縦走コースまたはアルプス銀座と呼んでいます。コースは常に稜線上にあり、大展望が広がる雲上の人気コースです。燕岳から常念山脈の縦走路を南下するにつれ、梓川を隔てて次第に大きくなってくる槍ヶ岳にわくわく感を覚えるルートです。

東鎌尾根の急坂や大天井岳の北面のトラバースなどやや危険箇所ありますが、北アルプス入門縦走コースとして人気があります。ここでは燕山荘からヒュッテ西岳までを案内します。

燕山荘を出発して概ねアップダウンの少ない穏やかな稜線を歩きます。 進行方向の右手方向には槍ヶ岳から穂高岳へと連なる北アルプス主稜線の素晴らしい眺望が続きます。

燕山荘を出て、しばらくすると蛙岩(げいろいわ)と呼ばれる奇岩があります。夏にはその岩を左から巻きますが、冬季ルートは蛙岩の真ん中を通過するようになっています。
蛙岩を越え、さらに穏やかな稜線が続き、ハイマツが途切れた平坦地「大下りの頭」で下りとなります。 名前には「大下り」と付いていますがわずかな下りです。

土砂崩れのある稜線の左側を登り返し、再び右側に出ると稜線は広くなりコマクサの群生する砂礫地が広がります。

縦走路を進むにつれ大天井岳が次第に大きく見えてきます。鞍部にある喜作レリーフがはめ込まれた岩に向け下ります。 鞍部近くの切通岩には鎖と梯子が掛けられていますが、高度感は無く特に難しい所ではありません。 喜作新道(槍ヶ岳方面)と常念岳方面への分岐の直前に喜作レリーフが岩にはめ込まれています。

喜作レリーフのある地点から丸太の階段を登り常念岳方面の分岐を左に見送ると風景が一変します。 大天井ヒュッテまでの約40分は岩稜のトラバースが連続する区間が、このルート最大の難所です。
随所に鎖や梯子が設置されていて、右側が切れ落ちている所には「滑落注意」の看板あるなど、やや高度感のある通過ですが足場はしっかりしています。

核心部を通過すると大天井ヒュッテが見えてきます。

大天井ヒュッテ前からスタートし稜線の左側をトラバース気味に進みます。 谷側の斜度は緩く、草付きとなっていて難所は無く穏やかな登山道です。

ビックリ平(標高2,549m)で稜線に上がると左右の展望が開け、右手には東鎌尾根から伸びる槍ヶ岳、左手には常念岳が梓川の上流、ニノ俣谷を隔てて聳えています。

ビックリ平からはコマクサの群生する広い稜線上のザレ場を進み、いくつかの小さなピークを越えると赤岩岳山頂に至ります。赤岩岳と名前が付いていますが、明瞭な山頂と言うわけではありません。

赤岩岳から一旦下り、やせ尾根を登り返します。痩せ尾根の岩場に鎖場があります。しかし左右が強く切れ落ちているわけでは無いの高度感を覚えるところではありません。

鎖場を登り上げると小ピークに立ち、西岳方面の展望が一気に開けます。登山道が西岳の東斜面をトラバースするようにヒュッテ西岳まで伸びているのが見えてきます。ヒュッテ西岳が大きく見えてくると、その先に穂高岳の急峻な峰々の大パノラマが展開します。

西岳(2,758m)分岐を右に見送り、少し歩くとヒュッテ西岳に到着です。西岳は登山道から5分ほど登った所にあり、ピストンすることになります。

コースタイム

  • 燕山荘⇒ヒュッテ西岳 5時間00分
  • ヒュッテ西岳⇒燕山荘 4時間50分

表銀座縦走ルート(燕岳~西岳)の難易度

難易度 2/10

体力  1/10 (泊)

東鎌尾根表銀座縦走ルート(西岳~槍ヶ岳)

東鎌尾根ー表銀座縦走ルート(西岳~槍ヶ岳)ヒュッテ西岳より
東鎌尾根表銀座縦走ルート(西岳~槍ヶ岳)ヒュッテ西岳より

西岳から東鎌尾根に入ると、天にその先端を突き刺す様に聳えた槍ヶ岳が次第に大きくなり、登頂意欲を掻き立てられます。東鎌尾根は高度感のある垂直に近い梯子が架かるなど、登山初心者には少し難しいかもしれません。

 西岳の西側を巻く様に下って行くと短い梯子が出てきます。 ここから斜度は一気に増して難易度が上がります。
丸太の階段を下りた所からトラーバース気味の斜面に鎖が設置されています。 このトラーバースの鎖場は足場がしっかりしていて高度感はさほどありません。

次に傾斜のきつい10mほどの鉄梯子を下りす。初心者には、やや高度感を感じるところでしょう。、梯子降り切り、ザレた斜面に架けられた鎖を使って下降するところまでが比較的難所と言ってよいでしょう 。

やせ尾根を下り、登り返したところは右側が鋭く切れ落ちていてやや高度感がある所で、崖沿いに3メートルほどの丸太の梯子が架けられています。
その後しばらく穏やかな稜線上の下りが続き、登山道がザレた斜面になる辺りから傾斜がきつくなります。
下り切り、左から巻く様にトラバースするところの鎖場を通過すると、下方に水俣乗越が見えてきます。

水俣乗越は東鎌尾根の最底鞍部の平坦地にあり、槍沢ルートの大曲で分岐した登山道が合流する所でもあります。又、北側の天上沢に下る踏み跡があり、バリエーションルートの北鎌尾根へ取り付くためのアプローチとして使われている場所になっています。

ここから東鎌尾根の登りがスタートします。 稜線沿いの登山道からは、天に突き刺すように聳える槍ヶ岳が大変美しく見えています。

途中、ハイマツ帯の中にある丸太梯子が連続する所がありますが、傾斜は緩く、高度感はさほどありません。しかし、木製の丸太のため雨天時にはスリップに注意が必要です。

次に3連で掛けられたほぼ垂直な鉄梯子を降ります。梯子を降り切った所の両脇は共に切れ落ちた痩せ尾根で、「窓」と呼ばれる場所です。梯子の取り付き立ち、下を見下ろすと高度感たっぷりで緊張をしいられます。ここはまさに東鎌尾根の核心部と言ってよいでしょう。

※ 「窓」の名前が付いたのは、燕岳から見ると格子窓の様に雪渓が残るからだそうです。 又、ここの鉄梯子は1998年夏の長野・岐阜県境群発地震によって北側を巻いていた登山道が崩壊してしまい、新ルートとして稜線通しに整備されたものです。

核心部を過ぎると、比較的なだらかな稜線歩きがしばらく続きます。 丸太梯子を登るとすぐにやや高度感のある鉄梯子が掛けられています。鉄梯子は登りやすくさほどの困難は無いでしょう。

再び丸太の梯子が続いた後、ヒュッテ大槍まであと40分」と書かれた手書きの看板を目にする所が第3展望台です。長かった表銀座縦走路もあと少しで終わりかと思うと、ほっとした気分です。

ヒュッテ大槍は、看板の立つ所から2つの小ピークを乗り越えた所にあります。ここからは、一気に傾斜が緩み 、カブリ岩を左手にやり過ごし、草木の中の簡単な登りが続きます。東鎌尾根の稜線の右手には、バリエーションルートの北鎌尾根が槍の穂先に向かって伸びているのが見えています。北鎌尾根は、ギザギザとした小ピークが連続する難ルートです。

ヒュッテ大槍からは東鎌尾根の岩稜の登りで、傾斜は緩く難しい所はありません。
殺生ヒュッテへ下る登山道を示す指導標を左に見送り、途中短い丸太梯子を2か所通過すると、なだらかな登山道が槍ヶ岳山荘まで続きます。

コースタイム

  • 登山:ヒュッテ西岳⇒槍ヶ岳 4時間30分
  • 下山:槍ヶ岳⇒ヒュッテ西岳 4時間10分

東鎌尾根表銀座縦走ルート(西岳~槍ヶ岳)の難易度

難易度 4/10

体力  2/10 (泊)

西鎌尾根ルート

槍ヶ岳 西鎌尾根
西鎌尾根

新穂高温泉を登山口として鏡平山荘を経由し、双六小屋から西鎌尾根に入ることが出来ます。弓折岳の稜線は高山植物が大変豊富な所です。又、西鎌尾根の硫黄乗越周辺にも広いお花畑があります。

また、高瀬ダムのブナ立尾根を登山口として、西鎌尾根を経由し、槍ヶ岳に至るルート(烏帽子岳→野口五郎岳→鷲羽岳→双六岳→槍ヶ岳)は裏銀座縦走コースと呼ばれています。

新穂高温泉バスターミナル近くにある新穂高登山センターに登山届を出して出発します。新穂高温泉のゲートの脇を通り、左俣谷の左岸(右側)にある傾斜の緩い林道を登ります。林道を登ること1時間ほどで笠ヶ岳の登山口である笠新道入り口に着きます。 ここには水がコンコンと出ている水場があります。笠ヶ岳へ登る登山者はここで水の補給が出来ます。

笠新道入り口からさらに林道を10分ほど歩けば「わさび平小屋」です。わさび平小屋の前はベンチやテーブルが置かれた休憩場所となっています。玄関前の水槽に冷えた飲料水・ビール・野菜などが販売されています。山小屋近くにテント場が整備され、30張ほど設営が可能です。また、わさび平小屋前の林道を挟んで流れる 小川は水場となっています。

わさび平小屋から15分ほどで林道が終わり、良く整備され小池新道へと入っていきます。 低木帯の中やゴーロ帯を越えれば、大ノマ岳を削って流れる秩父沢です。秩 父沢に架かる橋は7月上旬から10月上旬までで、それ以外は外される様です。秩父沢は休憩の最適地になっていて、多くの登山者がザック下ろし、体を休めています。秩父沢を渡った数分先の小川の水は飲めます。

チボ岩と呼ばれるゴーロ帯を越え、低木帯に入り、再びゴーロ帯を進みます。この辺りから左俣沢を振り返ると穂高岳と焼岳がよく見えます。ゴーロ帯を抜けた周辺は、イタドリが多く自生しする平原が広がり「イタドリヶ原」と呼ばれています。 「イタドリヶ原」の先のダケカンバ交じりの低木帯を抜けると展望が開けます。そこには、広範囲に渡ってミヤマシシウドが群生する「シシウドヶ原」です。

シシウドヶ原の道標が立つ場所で、進路を急角度に東方に向け、弓折岳の東斜面を右から巻くように登ります。弓折岳と弓折尾根間は木道が設置された平坦の地形で、 その先の小高い丘を越えると鏡平です。

鏡平一帯は沼が点在した平坦地で、その中でも鏡池に写る槍ヶ岳や穂高岳の絶景を求め多くの登山者が訪れます。 そのため、ひょうたん池湖畔に建つ鏡平小屋のハイ シーズンの混雑は、1枚の布団に2人を覚悟してください。また、鏡平から見ると槍ヶ岳・穂高岳は東方向に位置するため、朝は逆光になり綺麗な写真は撮れません。

鏡平小屋から弓折乗越へ向け登ります。弓折乗越は、弓折岳から北方向に伸びる稜線上にあります。 弓折岳の中段から東面をトラバースします。トラバース道から振り返ると遠望には焼岳とその先の乗鞍岳、そして見下ろすと池が点在する鏡平に赤い屋根の鏡平小屋が小さく見えます。 

弓折乗越分岐から、双六小屋に向け稜線を進みます。少し稜線を進んだ所で振り返ると、南西方向に抜戸岳へ繋がる稜線が見えています。  「花見平」と呼ばれる平坦な所からは丸い形をした双六岳の全景が見えます。稜線を北進するにつれ、鷲羽岳とその先の水晶岳が、次第に大きく見えてきます。 崩壊地を越えた辺りで、樅沢岳(もみさわだけ)と双六岳との鞍部に建つ双六小屋が見えてきます。

双六小屋は建て替えられて間もない小屋で大変綺麗です。双六池の周辺には冬季避難小屋や60張り可能な大きなテント場があります。、水は近くの雪渓から引いていので大量にあり、宿泊者以外でも無料です。又、梅雨開けから約一か月間富山大学双六小屋夏山診療所が開設され、登山者の安全をサポートしています。

双六小屋から西鎌尾根の起点となる丸いなだらかな山容をした樅沢岳西峰へ登ります。樅沢岳西峰から振り返ると双六岳から連なる三俣蓮華岳、鷲羽岳、真砂岳などの山々が美 しい景観を作っています。

樅沢岳西峰横の小ピーク・樅沢岳東峰は、南面をトラバースし、ハイマツ帯の中を抜け反対側に回り込みます。正面には西鎌尾根が湾曲しながら槍ヶ岳に向け伸びているのがはっきり確認できます。しばらくアッ プダウンの少なり稜線が続き、左手には赤い岩肌が特徴的な赤岳から硫黄岳に連なる硫黄尾根が見えます。さらに硫黄尾根越に燕岳から常念岳へと連なる常念山脈が見 えています。

左俣岳は飛騨側を巻き、そこから少し下った所に鎖場がります。簡単な通過のため鎖はほとんど使われず錆びついています。 その後、比較的なだらかな稜線が続きます。小ピークを左から巻いて通過し、再び小ピークを左から巻いて進み、岩稜帯へと入っていきます。岩稜帯には数か所に鎖が設置 された通過がありますが、どれも簡単で登山初心者でも難なく越えて行けます。

岩稜帯を抜けると飛騨沢へ下る千丈乗越分岐はすぐそこです。千丈乗越からザレた斜面をゆっくりと登り、ろうそくの様に直立した大岩・ニセ槍を越えた辺りから一気に傾斜が増します。ジグザグに切られた登山道を登ると槍ヶ岳山荘が建つ鞍部に飛び出します。

コースタイム

  • 登山:新穂高温泉⇒双六小屋 6時間40分、双六小屋⇒槍ヶ岳 4時間30分  合計:11時間10分
  • 下山:槍ヶ岳⇒双六小屋 3時間30分、双六小屋⇒新穂高温泉 5時間30分 合計:9時間

西鎌尾根ルートの難易度

難易度 2/10

体力  3/10 (2泊)

氷河公園の天狗池-槍ヶ岳サブコース

氷河公園の天狗池-槍ヶ岳サブコース
氷河公園の天狗池-槍ヶ岳サブコース

槍沢上部には多数のカールがあります。特に「氷河公園」とも呼ばれる天狗原カールでは、天狗池の水面に映る「逆さ槍」が赤く染まったナナカマドと絶妙な景観を作り出す人気の撮影ポイントになっています。

槍ヶ岳へは上高地から、槍沢をそのまま直登すれば登れますが、氷河公園の天狗池を経由し槍ヶ岳・穂高連峰の主稜線に登るルートを使えば、その途中で「逆さ槍」を見ることが出来ます。

天狗池は例年8月中旬頃まで雪渓で埋まってその姿を現しません。池の全容が現れ、槍ヶ岳が投影される様を見るためには9月に入ってからが確実です。又、天狗池からは氷河時代に作られた槍沢モレーン上部の通称グリーンバンドと呼ばれる地形もはっきりと確認する事が出来ます。

槍沢ルートの天狗原分岐から天狗池の往復は休憩時間も含めて約1時間30分あれば可能ですから立ち寄るのもお薦めです。

天狗池から南岳を目指す場合、横尾尾根に入り、その上部では岩稜の登りとなり、鎖場が連続する所や梯子が掛られた高度感のある場所が出てきます。天候不良など悪条件の場合には通行に支障がありますが、通常ならば登山初心者でも問題なく登る事ができるでしょう。

横尾尾根のコルまで登れば、アルペンムードを放つ峻険な北穂高岳が姿を現します。 又、振り返ると、常念岳から大天井岳、更には燕岳と続く常念山脈も登山者の目を楽しませてくれます。

登山技量に自信があれば大キレットを経由して北穂高岳へ登るルートとして活用されますし、時間的余裕のある方は南岳から日本の屋根といえる北アルプス主稜線を槍ヶ岳へ向かっても良いと思います。

氷河公園の天狗池-槍ヶ岳サブコースの難易度

難易度  3/10

体力  3/10 (泊)

槍ヶ岳の核心部の難易度・槍の穂先ルート

槍ヶ岳の核心部・槍の穂先
槍の穂先部ルート

槍ヶ岳の最も難易度の高い所は、槍ヶ岳山荘前から槍の穂先と呼ばれている僅か30分ほどの短い区間です。
槍ヶ岳山荘から見上げると垂直の壁に見えますが、実際登ってみると、さほど傾斜はきつくないと感じるはずです。

槍ヶ岳山荘前の広場にザックをデポして空身で登ります。 槍の穂先は登山用と下山用のルートに分かれています。 まず最初に現れる梯子の傾斜は70度、長さ6mほどで高度感はさほど感じません。

ついで現れる短い梯子を登って現れる鎖場が、登山用ルート中の核心部と言える所でしょう。
岩には鉄製のステップが打ってありますがやや難しく感じ、特に雨の日など、岩がスラブ状のためスリップしやすいため注意が必要です。

最後に山頂直下に2連でかけられた80度ほどの鉄梯子が、唯一高度感を覚えるところです。
鉄梯子を登りきると山頂に飛び出し、畳二十畳ほどの山頂からは360℃の大パノラマが展開します。

槍の穂先は雷の多発地帯で、天候が悪い日には槍ヶ岳山荘に設置された雷探知警報機を参照するといでしょう。
下山用のルートは登山用のルートとは別に付けられ、渋滞を緩和しています。

御来光の時間に合わせて夜明け前にヘッドランプを点けながら槍の穂先へ登る登山者も多く見られます。8月1日で、日の出時間は4時42分頃です。

槍ヶ岳の日帰り登山は出来る?

槍ヶ岳を最短で登れるコースは新穂高温泉を登山口とする飛騨沢ルートですが、標高差が2,000mを越えます。標準コースタイムが往復で15時間50分かかるため健脚者であっても難しいでしょう。 標準的な登山者は山小屋で一泊するのが良いと思われます。

槍ヶ岳の登山口近くの温泉

槍ヶ岳の近くにある焼岳は、現在でも噴火をしている活火山です。その周辺に、良質な泉質が湧き出る温泉が多数あります。

代表的な温泉が白骨温泉、新穂高温泉、平湯温泉などです。

深山荘

新穂高温泉 深山荘

深山荘は新穂高温泉の登山者用無料駐車場の近くにあります。 ハイシーズンには登山者用無料駐車場が一杯になることが多いので、深山荘に宿泊すれば、下山まで深山荘の駐車場を使えるので安心です。

高原川沿いに階段状になった複数の広い露天風呂は開放的です。

深山荘から新穂高ロープウェイまでは1.1 km、 徒歩13分です。

槍見の湯 槍見館

新穂高温泉 槍見の湯 槍見館

槍ケ岳を眺む絶景7種の露天風呂が高原川沿いにある秘湯の一軒宿です。
湯量豊富で源泉かけ流しです。

笠ヶ岳のクリヤ谷登山口は旅館のすぐ脇から始まります。

槍見館から新穂高ロープウェイまでは2.9 km 、徒歩 33分です。

上高地温泉ホテル

上高地温泉ホテル

梓川に沿って建つ上高地温泉ホテルは、登山基地として使用しても大変便利です。

文政年間(1830年代)に開湯され、三つの自家源泉を持つ源泉かけ流しの温泉です。温泉の効能により、湯上り後長時間に渡って体がポカポカし、心地よい眠気に誘われます。

白骨温泉

白骨温泉泡の湯

白骨温泉の中でも最も有名な温泉旅館です。

真っ白い硫黄の温泉が木樋から流れ落ちる大きな露天風呂が魅力的です 。

露天風呂は混浴ですが、男女別になっている露天風呂の入り口で、首まで浸かってから露天風呂に侵入すれば、お湯が白いため裸のままでも他人から見えません。

中の湯温泉旅館

中の湯温泉旅館

松本駅の無料送迎が利用できます。(予約制)

夏季
(4月下旬~11月中旬)上高地へのマイカー規制をしています。
4月下旬~11月中旬には、要望に応じて毎朝1便上高地までの送迎あり。(要予約)

冬季
上高地に行かれる方は釜トンネルゲートまで随時送迎があります。
また旅館周辺でもスノーシューで散策できます。
スノーシューの無料レンタルあり、(通常スノーシューレンタル一日分1500円)

槍ヶ岳登山口の上高地に泊まる

上高地帝国ホテル

上高地帝国ホテル

上高地の中で最も高級なホテルです。 1泊2食付で1室2名で利用した場合の最低の部屋の料金は一人40000円以上です。

自宅(東京都内)と上高地間を帝国ホテルハイヤーにて送迎するプランもあります。中型車(クラウン・シーマ)で 210,000円です。

槍ヶ岳の岩石の特徴

溶結凝灰岩で出来た槍の穂先
溶結凝灰岩で出来た槍の穂先

溶結凝灰岩

北アルプスの中心的存在である槍ヶ岳の先端が鋭くとがっているのは、溶結凝灰岩という硬い岩石でできているため、氷河による侵食や風化に耐え、ニードルとして残ったものです。

槍ヶ岳の地質学的な研究は信州大学教授の原山智の論文を参照してください。

槍ヶ岳の地形の特徴

ール(圏谷)モレーンとU字谷

槍ヶ岳のカール(圏谷)群とモレーン
槍ヶ岳にある数多くのカール地形とモレーン(常念山脈の蝶ヶ岳より撮影

槍ヶ岳から穂高岳に向かって伸びる稜線沿いに、氷河活動によって削り取られたカール地形が連なっています。2万年前まで北アルプスは氷河で覆われていました。氷河は山腹を浅いお椀状に削り取り、カール地形を作り出しました。槍ヶ岳から南に向かって順に殺生カール、大喰岳カール、中岳カール、天狗原カール、横尾右俣カールと連なります。

槍ヶ岳山頂直下からババ平に続くS字状に深く刻まれた谷は槍沢と呼ばれ、典型的なU字谷の地形となっています。

殺生カールの下には大槍モレーンと呼ばれる3列のモレーンが確認できます。そのうち一番下のハイマツ帯の中に大きな高まりとなっているものを通称グリーンバンドと呼んでいます。そしてババ平や一ノ俣、ニノ俣にも5~6万年前の氷河によってできたモレーンが残っています。

北アルプスにおいて代表的なカール地形は穂高岳の涸沢カール白馬岳の白馬大雪渓立山の山崎カール黒部五郎岳の黒部五郎カール薬師岳のカール群などが挙げられます。

※モレーンとは氷河が終息するに従い、堆積物の小さな丘が残ったものです。

各種情報

槍ヶ岳登山ツアー

役場

温泉宿の問い合わせ

登山届提出

登山地図のスマホアプリ

  • 山と高原地図のスマホアプリ
    昭文社から販売されています。山と高原地図ホーダイ - 登山地図ナビアプリ 定額(500円/月 or 4800円/年)で61エリアの「山と高原地図」が使い放題。山と高原地図[地図単品購入版]地図1エリア 650円。

槍ヶ岳山頂周辺の気温

最高気温平均気温最低気温
1月-12.3-16.3-20.2
2月-11.4-16.0-20.4
3月-6.8-12.4-17.1
4月1.1-5.9-11.8
5月6.5-0.7-6.8
6月9.93.3-1.8
7月13.26.82.4
8月14.98.13.3
9月9.83.9-0.5
10月3.6-2.6-7.4
11月-2.8-8.4-12.9
12月-9.2-13.6-17.2

槍ヶ岳へ登るための装備と服装

軽アイゼン12本歯アイゼンピッケルサングラステント
1月×
2月×
3月×
4月×
5月
6月×××
7月××××
8月××××
9月××××
10月××××
11月××
12月
必須:◎ あった方が良い:○ あったら良い:△ 必要ない:× 

服装や装備品のチェックリスト

登山地図必須 登山地図を忘れると道迷いの原因に!
レインウェア必須 山の天候は急変します。天気予報で晴が出ていても
レインウェアは必須です。また、防寒着としても使えます。セパレートタイプの通気性と防水性を兼ね備えたゴアテックスがベストです。
帽子必須 稜線に上がると直射日光が強烈に降り注ぎます。槍沢ロッジの少し上で森林限界を超えます。日よけ用のつばが広く軽いものをお奨めします。寒さが厳しいときは、耳を覆うニット製、冬山ではフルフェイスタイプをお奨めします。
日焼け止め必須 森林限界を超えると直接日光が降り注ぐため紫外線が強いので必帯です。
飲料水必須 天気の良い日は少し多めに持って行きましょう。例)上高地から槍ヶ岳ピストン
体重60キロの人の場合:5.1リットル 槍ヶ岳山荘ででは宿泊者には無料で提供しています。
ヘッドランプ必須 夜、電気が切れてしまう山小屋もあります。槍の穂先で御来光を迎えるために、暗いうちから登るために必要です。
トイレに行くのに不自由です。
行動食必須 コンビニでいくつか買っていくと便利です。パン・ナッツ類・野菜ジュース、飲むヨーグルトなど立ち休憩で食べられるもの。
パックカバー必須 ザックが濡れないようにするためのザックカバーは雨に日には絶対必要です。ザックカバーも雨衣と同様に防水性が衰えてきます。時折、防水スプレーをするなどのメンテナンスが必要です。
救急薬品必須 切り傷、擦り傷にカットバン、絆創膏を持っていくと良いでしょう。虫刺され薬品、トクホンのような筋肉痛に効く貼り薬。
ティッシュペーパー必須 登山中いきなりもよおした場合など、万が一の時のために必帯です。ポケットティッシュを水で濡らし耳栓として使う場合にも有効です。
防寒着薄手のフリース,セーター、軽いダウンジャケット。槍ヶ岳山頂では、7~8月でも最低気温が3度ほどに下がることがあります。軽くて保温性の高いものを選びます。ゴアテックスのレインウェアをその上に着ると更に保温性が高まります。
耳栓あったら良い 山小屋では大部屋が基本です。就寝時に いびきをかく人が必ずいます。耳栓の効果は絶大です。
カメラあったら良い 山旅の思い出にぜひどうぞ。槍の穂先の鎖場での撮影には片手で操作出来る軽いタイプの一眼レフカメラが向いています。ウエストポーチに収納出来る大きさであることが望ましいです。
ビニール袋あったら良い ごみ入れとして、使用前の下着入れ、使用後の下着入れとして7~8個あると便利です。
保険証(コピー)あったら良い 事故や遭難時に必要です。

播隆上人による槍ヶ岳開山の歴史

播隆上人

播隆上人
松本駅前の僧播隆上人像

1986年(昭和61年)8月に、彫刻家の上條俊介の手によるブロンズ製の「僧播隆上人像」が完成し、JR 松本駅東口に建立されました。

笠ヶ岳からの槍ヶ岳

かつて播隆上人も見た笠ヶ岳からの槍ヶ岳
かつて播隆上人も見たであろう笠ヶ岳からの槍ヶ岳

播隆上人も見たであろう笠ヶ岳・笠新道から望む槍ヶ岳。天に突き上げる鋭鋒に胸おどらせた事でしょう。 写真には飛騨沢ルートが描かれています。

交通網が発達している現代と違って、

槍ヶ岳は平野部からのアプローチが容易ではなく、古代・中世にはもっぱら遥か彼方から仰ぎ見る秘峰でした。そのため江戸時代後期になってようやく開山されたのであります。日本の名峰が修験道に代表される山岳信仰によって奈良時代から平安時代にかけて開山されたのに比べ、この山の歴史は極めて浅いのです。

初登頂に成功したのは、越中国新川郡河内村(現富山市河内)出身の浄土宗の僧侶・播隆上人です。播隆は、近畿、美濃、飛騨地方を中心に念仏による布教活動を行っていた念仏の行者で、「南無阿弥陀仏」の文字が刻まれた名号碑や播隆名号軸などが多数残されており、活動の一端を知ることができます。播隆は、近江国伊吹山で山岳修行した後、荒れ果てた笠ヶ岳の登山道を整備し、山頂に仏像を安置するなどして笠ヶ岳を再興しました。その時播隆は、笠ヶ岳から望む槍ヶ岳から穂高岳にかけての鋭鋒の峰々に目を奪われたに違いありません。そして、槍ヶ岳開山は播隆の執念ともいえる生涯をかけての事業となったのです。

播隆は、文政9年(西暦1826年)松本の玄向寺の立禅和尚の紹介で中田又重郎を知りました。同年8月に又重郎の協力を得て、信州側から槍ヶ岳へ向かいました。既に飛騨新道が一部開かれていた為、鍋冠山を経て大滝山へは容易に登れたと思われます。大滝山で飛騨新道から別れ、蝶ヶ岳へ向かいました。蝶ヶ岳からわさび沢を下り、横尾山荘付近に出て、梓川を遡行し、現在の槍沢ルートにそって槍の肩まで登りました。しかし、1回目のチャレンジでは山頂に立つことは出来ませんでした。その時発見した坊主ノ岩小舎は次回のチャレンジの時の宿泊場所になりました。

2年後の文政11年7月、再び又重郎と共に槍ヶ岳を目指します。槍の穂先部分はロッククライミングでの登攀となりましたが、事前に大阪にて鋳造した銅像阿弥陀仏、銅像観世音菩薩と木造文殊師利菩薩の3体の仏像を苦心の末、山頂に安置しました。

更に播隆は、槍の穂先部分に鉄鎖を掛ける為奔走します。天保7年に鉄鎖の運搬が開始されましたが、松本藩から鉄鎖の取り付けの中止命令がくだされます。天保7年に入るとそれまで数年続いていた飢饉が更に悪化し、飢餓者を出すほどの惨状となります。播隆による槍ヶ岳開山が聖なる山を犯したとされ、それが大凶作の原因とされてしまった為です。天保11年飢饉も収まり、松本藩から鉄鎖の設置の許可が降りました。この年、念願叶って槍ヶ岳山頂の6ヶ所に鉄鎖を取り付けることが出来きました。笠ヶ岳の再興から十八年が経っていました。そして、播隆上人の功績により一般登山者も容易に槍ヶ岳へ登ることも出来るようになったのです。

※ 中田又重郎-公儀に鷹を献上する鷹庄屋中田九衛門の分家で、小倉村に住んでいました。鷹庄屋は将軍に鷹を取って献上する役目であったため、上高地周辺の山々の地理に詳しく、槍ヶ岳へのガイドとしては申し分ない人物だったわけです。 彼は、飛騨新道の開削にも尽力していました。

※ 飛騨新道-松本平~小倉村~鍋冠山~八丁ダルミ~大滝山~徳澤~上高地~焼岳・中尾峠~飛騨高山間の交通路。文政3年(西暦1820年)に着工して完成するまでに15年を要しました。しかし、諸般の事情で26有余年という、短命で廃道となりました。

明治以降の槍ヶ岳の登山史

明治11年(1878年)、「日本アルプス」の

名付け親でもある英国人技師・ウィリアム・ガウランドは、大阪造幣寮の招きを受けて来日した際、外国人としては初めて槍ヶ岳登頂を果たしています。その後、明治24年(1891年)、キリスト教の宣教師・ウォルター・ウェストンが登りました。ウェストンは後に「日本アルプス登山と探検」の中で、この山を「日本のマッターホルン」として紹介しています。

その後、日本人では日本山岳会の岡野金次郎のほか、文豪の芥川龍之介なども登っています。そして、大正5年に上高地から槍ヶ岳間の登山道が完成し、近代登山の幕開けとなります。

大正7年(1918年)、穂刈美寿雄は槍沢ロッジの前身となる「アルプス旅館」を槍沢のババ平に建設、大正9年(1920年)には、西穂高村の山岳案内人・小林喜作が、燕岳から常念山脈を南下して、東鎌尾根から槍ヶ岳へ通じる喜作新道を開き、槍ヶ岳のへのアプローチがさらに容易となり、身近な山となっていきます。

槍ヶ岳山荘では毎年9月第1土曜日に僧播隆上人を偲んで「播隆祭」が開催されています。

さらに詳しくは槍ケ岳山荘の創始者・穂苅三寿雄の『槍ケ岳開山 播隆 』の著書でどうぞ。

参考文献:名山の日本史