八ヶ岳の南西麓及び南麓には、茅野市の尖石遺跡、諏訪郡富士見町の井戸尻遺跡、北杜市大泉村の金生遺跡、明野村の神取遺跡などの多くの縄文遺跡が密集して点在しています。縄文人が八ヶ岳を神として崇めていたことは想像に難くありません。

八ケ岳と向かい合うように聳える甲斐駒ケ岳の山頂からは縄文時代後期の無紋土器が発掘されています。仮に縄文人が黒戸尾根の急登を辿ったとすれば、それよりもはるかに登り安い八ヶ岳(赤岳)へも登っていた可能性は十分あると考えられます。

編笠山の標高約2400m付近で縄文時代の黒曜石製石鏃(せきぞく)が藤森栄一氏により採集され、蓼科山の標高2350.3mの地点でも石鏃が採集されていることなどを見ると、縄文人が既に狩猟目的で八ヶ岳の中では比較的低く、樹林帯に覆われた山頂へは登っていた事実が確認されています。

そして、少なくとも奈良時代には農耕の神として信仰の対象になっていたでしょう。

八ヶ岳南麓の縄文遺跡

  • 八ヶ岳の南麓の金生遺跡のA区(縄文時代遺構群)からは、住居跡41軒が発見され、そのうちの38軒は後~晩期のもので、この遺跡の特徴である配石遺構、5基発見されました。背景に八ヶ岳が聳える。
  • 井戸尻遺跡(いどじりいせき)は、八ヶ岳南西麓の長野県諏訪郡富士見町にある遺跡。縄文時代中期を中心とする集落遺跡。背景に甲斐駒ヶ岳が聳える。

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