天城山(あまぎさん)とは

川端康成の小説「伊豆の踊子 (新潮文庫) 」にも登場する天城山は、伊豆半島の中央部に位置し、南西部に位置する長九郎山から北東部に位置する遠笠山までの山塊の総称です。

その間、南西から猿山、三蓋山、登り尾、万三郎岳、万二郎岳など重畳たる山並みが山頂を連ねています。日本百名山にも数えられ、その最高峰は標高1,406m の万三郎岳です。

アマギシャクナゲとトウゴクミツバツツジの花期

アマギシャクナゲ

万三郎岳と万二郎岳との間にアマギシャクナゲ(花期は例年5月中旬から6月上旬)、マギシャクナゲは年により当たり年、外れ年があると共に花期が前後にずれるので、事前に確認して登る事をお薦めします。

天城山のシャクナゲは、かつてキョウマルシャクナゲかアズマシャクナゲと考えられて来ましたが、近年の植物学者の研究により、天城の特産種としてアズマシャクナゲの変種として認識される様になってきました。

トウゴクミツバツツジ

万二郎岳のすぐ下にアマギシャクナゲより少し遅れて咲くトウゴクミツバツツジなど求めて最も多くの登山者がこの時期に登ります。

トウゴクミツバツツジは東国(関東から東北地方)に生息しているミツバツツジです。葉を枝に3枚ずつ付け、輪生します。葉より花が咲きに開きます。トウゴクミツバツツジの雄しべは10本あり、ミツバツツジは5本なので、両者の鑑別に使います。花期は5月中旬から6月上旬です。

天城山の登山最適時期

豊かな原生林を今に残す天城山の特におすすめな時期は、アマギシャクナゲの群落がピンク色の花を咲かせ、トウゴクミツバツツジが紫色の花を咲かせる5月中旬~6月上旬、アセビの白い花のトンネルが出現する3月~5月、紅葉の見ごろは11月に入ってからです。

また、標高が低いこと、暖かい伊豆半島にあることなどで、積雪量はあまり無く、冬山登山も難易度は高くありません。

コース上にはブナ、ヒメシャラなど豊かな森に包まれているため、展望を期待して登る山ではありません。

天城山の地図

天城山登山口の駐車場とアクセス

アクセスの詳細は下記を参照してください。

天城山
天城山のアクセスと駐車場
天城山のアクセスと駐車場

天城山の名前の由来

天を覆うほどに木々が茂る山ということで「天木の山」が語源となった説。又、「増訂豆州志稿」の中に甘木の文字が出てきます。これは、天城山固有種のアマギアマチャを指していたと思われ、天城山全山に多く自生し、甘茶の原料になる木です。そこで、「甘木山」が転じたものという説です。

天城山の登山コース概要

① 天城山-万二郎岳~万三郎岳周回コース

露岩から万三郎岳を望む
露岩から万三郎岳を望む

天城峠を登山口として万二郎岳、万三郎岳を周回するコースが一般的ですが、天城峠から戸塚峠、白田峠を経由し天城山脈を縦走して天城峠へ下るルートも考えられます。 ここでは、周回コースを紹介します。

天城峠近くにはトイレが併設された100台ほどの登山者用駐車所があり、水道も完備していますが、冬季にはトイレ、水道は凍結するため使用中止となっています。

駐車場前から登山道がスタートし、なだらかな登山道を進み、,四辻にある万二郎岳登山口分岐で左に進路をとります。
ジグザグに樹林帯の中を約1時間登った所に、太平洋を一望できる岩場があります。
万二郎岳山頂は、その岩場から少し登った平坦な樹林帯の中にあり、展望はあまり無く、木々の間からわずかに太平洋や天城山縦走路の稜線が見えるだけです。

万二郎岳からわずかに下ったところに狭い岩場があり、万三郎岳方面の稜線がくっきりと見えるこのコース唯一のビューポイントがあります。さらに稜線を下って鞍部に下りると、馬の背と呼ばれる休憩ポイントに至ります。

馬の背から登り返して小ピークを通過する所には、アセビの群落があり、登山道はアセビのトンネルになっています。小ピークから下りきったところが石楠立(はなだて)と呼ばれる鞍部です。

石楠立から登り返し、アマギシャクナゲの群落の間を登りきると、天城山最高峰の万三郎岳に到着します。山頂は平坦で40名ほどが休憩できるスペースがありますが、ほとんど展望はありません。

万三郎岳から少し下ったところにある万三郎岳下分岐点で、八丁池・戸塚峠方面を左に見送り、ここから高度を一気に下げていきます。下山途中で登山口となっている天城峠が木々の間から見え隠れしています。

涸沢分岐点を過ぎると天城山の北面を巻くようになっているため、日が差しにくく暗いルートには、3箇所にロープが設置されている所があります。特に難所という所ではありません。杉林を通過し、万二郎岳登山口分岐の四辻に戻ります。

コースタイム

  • 一周:天城高原ゴルフ場⇒万二郎岳⇒万三郎岳 ⇒天城高原ゴルフ場  4時間30分

難易度 1/10

体力  1/10  日帰り

② 天城峠から天城山縦走路コース

八丁池
八丁池

かつて天城峠は、伊豆半島の中央部に位置する天城山の西側を南北に縦断する下田街道(三島往還・天城道・下田往還などとも言う)の難所でした。静岡県伊豆市湯ケ島と賀茂郡河津町の境にあり、河津川と狩野川の分水嶺に当たる場所にあります。

今回は、天城峠・水生地下バス停から踊子歩道に入り、水生地の駐車スペースに車を止め、八丁池を経由して万三郎岳へ登る天城縦走路路を紹介します。

水生地駐車スペースから舗装された本谷林道を歩き、水生地歩道入口へ20分ほどで到着します。ここで水生地歩道と下り御幸歩道が分岐します。「御幸歩道」と名前が付くのは、昭和天皇が1930年(昭和5年)6月に八丁池まで往復したことを記念したからです。

水生地歩道は本谷川の源流に沿って高巻きする様に登るルートです。そして、ブナの原生林が生い茂る中を抜けると八丁池です。一方、下り御幸歩道は、杉林が伐採されている中を登り、ブナの原生林に入りほどなくすれば八丁池に到着します。

八丁池から戸塚峠までは、なだらかな天城山脈の稜線を進みます。ほとんどアップダウンが無く、展望は効かないのでやや退屈です。小岳(戸塚山)へ登るところに岩場があり、ロープが掛けられています。小岳から片瀬峠へ下り、登り返せば万三郎岳山頂です。

4月から11月まで、季節限定で登山バスが修善寺駅と八丁池入口を結んでいます。土休日やゴールデンウィークが主な運行日ですが、11月は全日運行されています。最大で5往復ありますが、季節により本数が少なくなるので、事前確認必要です。八丁池口までバスで入れれば、八丁池まで約1時間コースタイムを節約出来ます。

標高990メートル地点にある八丁池口から登る場合、八丁池まで40分ほどで着くため、天城天城縦走路路のピストンはさほど困難ではありません。

一方、標高600メートルの天城峠から天城天城縦走路路のピストンは、コースタイムが8時間ほどかかるため、やや困難です。その場合、天城高原ゴルフ場に下山し、伊東駅とを結ぶ伊豆東海バスに乗るのも一法です。

コースタイム

  • 登山:天城峠(水生地下駐車場)⇒万三郎岳 4時間40分
  • 万三郎岳⇒天城峠(水生地下駐車場) 4時間20分

難易度 1/10

体力  4/10 日帰り

天城山の日帰り登山は出来る?

天城高原ゴルフ場を登山口として万二郎岳、万三郎岳を周回するコースタイムは4時間30分です。 従って体力に自信のない方でも十分に日帰りは可能です。

また、天城峠から八丁池~万三郎岳を経由する天城山縦走路コースで万三郎岳をピストンするコースタイムは9時間です。したがって こちらも体力を必要とするものの日帰り可能です。

天城山の登山口近くの温泉旅館

天城山は、その昔火山によって形成されたもので、周辺には月ヶ瀬温泉、湯ヶ島温泉、熱川温泉、北川温泉、大滝温泉 など良質な温泉がその名残をとどめています。

大滝温泉 天城荘

複数の源泉を引き、各浴槽へかけ流しです。源泉温度の関係で季節によっては加温をしていますが、加水はしていない源泉100%です。伊豆最大級の滝「大滝」を見ながら露天風呂に入るのは格別です。

映画 「テルマエロマエ」の撮影地になったことでも 知られています。

天城山の天気

山の天気予報は難しい
山の天気予報は難しい

お薦めの天気予報

かつて狩野山と呼ばれていた天城山は、年間降水量が3000mmを超える多雨地域で、温暖な気候と相まって樹木の生息には大変適している環境と言えます。

テレビで流れる天気予報やネットで得られる無料の天気予報は、一般的に平地を対象としたものです。 そのため、晴れの天気予報が出ていても、山ではガスってしまうことはよくあることです。 

そこで、おすすめなのがtenki.jpの有料バージョン(+more)です。これは、月間100円と安いですが、高層天気の予報のため精度が高いです。また、山の天気予報(月額300円)を併用すると更に精度が高まります。

各種情報

天城山登山ツアー

  • 天城山|登山・トレッキングツアー

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登山地図のスマホアプリ

  • 山と高原地図のスマホアプリ
    昭文社から販売されています。山と高原地図ホーダイ - 登山地図ナビアプリ 定額(500円/月 or 4800円/年)で61エリアの「山と高原地図」が使い放題。山と高原地図[地図単品購入版]地図1エリア 650円。

天城山周辺の気温

最高気温平均気温最低気温
1月3.1-0.5-3.5
2月3.4-0.4-3.7
3月6.12.1-1.2
4月11.16.93.4
5月14.710.87.6
6月17.213.711.1
7月20.917.414.9
8月22.418.716.2
9月18.915.713.2
10月14.010.98.3
11月9.66.43.6
12月5.52.2-0.8

天城山登山のための装備と服装

軽アイゼン12本歯アイゼンピッケルサングラスツェルト
1月×
2月×
3月×
4月×××
5月×××
6月××××
7月××××
8月××××
9月××××
10月××××
11月×××
12月×
必須:◎ あった方が良い:○ あったら良い:△ 必要ない:× 

江戸時代は幕府の御用林となった天城山

古くから木材の産地として知られ、時の政府に手厚く保護されて来ました。西暦1185年(文治元年)源頼朝は、父義朝の伽藍建立の資材をこの山に求めたといいます。

又、西暦1208年(承元二年)3代将軍実朝は、鶴岡八幡宮の神仏習合による「鶴岡八幡宮寺」造営のため資材を切り出し、狩野川から沼津へ運び出した記録が残されています。

戦国時代には小田原北条氏も「狩野山奉行」を置いて天城山を管理していました。江戸時代には幕府の御用林となっていました。

天城山の山葵の歴史

天城山山葵田
天城山山葵田

天城山は、400年の歴史ある山葵(ワサビ)栽培の産地です。
慶長時代(西暦1595年から1615年)に栽培の始まりです。安倍川上流に自生していたわさびを「井戸頭」という源水池に移植しました。

江戸時代、湯ケ島・浄蓮の滝近くの沢で初めてワサビ栽培を始めたのは板垣勘四郎です。天明3年(西暦1748年)には、天城山葵が江戸に出荷されるようになったようです。

伊豆市役所天城湯ヶ島支所近くに昭和天皇ご成婚を記念して板垣勘四郎の碑が建立されています。そこに板垣勘四郎のワサビ栽培に関わった一生が刻まれています。

天城峠越えの歴史

天城峠越えの道は、西暦1772年から81年(安永年間)に作られた中けん峠を越えるものでしたが、それ以前は古峠を超えてる難ルートだったようです。西暦1819年(文政2年)に、二本杉峠を越える道が出来ましたが、馬や籠が通れるほどの道ではなく、徒歩で歩くしか無く、やはり、かなりの難所だったそうです。

その後、西暦1905年(明治38年)に天城峠の東に天城山隧道(旧天城トンネル)が開通する事により、馬や馬車での通行が可能になり、「天城越え」は難所ではなくなりました。川端康成が一高二年生の時、このトンネルを越える直前、天城山隧道横にあった峠の茶屋で初めて伊豆の踊り子と会話をしたといいます。現在でも天城山隧道を抜ける道が「踊子歩道」としてハイキングルートになっています。

その後、西暦1970年(昭和45年)天城山隧道の西側に新天城トンネルが開通する事により、車でも容易に天城峠を越える事が出来るようになりました。

天城山隧道(旧天城トンネル)

天城山隧道(旧天城トンネル)
天城山隧道(旧天城トンネル)

天城山隧道(旧天城トンネル)は、天城湯ヶ島町と河津町をつなぐトンネルです。総工費103、016円の巨費を投じて明治38年(西暦1905年)に開通しました。延長446m 、幅員3.5m、有効高3.5m。

車は小型・中型ならぎりぎりすれ違うことが出来る道幅があります。トンネル内には電気が付けられ、人も歩いて通り抜けることが出来ます。

石造道路隧道の中で、日本最大長を有する切り石巻工法で作られた土木構造物で、技術的完成度が高く、明治後期を代表する隧道であるとして、平成13年6月15日に重要文化財に指定されました。

伊豆の踊子の文学碑

伊豆の踊子の文学碑
伊豆の踊子の文学碑

川端康成の名作「伊豆の踊子」の書き出しが石碑に刻まれています。
「道がつづら折りになっていよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨脚が杉の密林を白く染めながら凄まじい速さで麓から私を追ってきた。」

文学碑は、水生地下バス停から踊子歩道を10分ほど歩いた所に、川端康成のレリーフと共に建立されています。