日本アルプス登山ルートガイド-核心部のルート案内
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槍ヶ岳(やりがたけ)
槍ヶ岳 南岳の稜線から撮影。殺生ヒュッテ・ヒュッテ大槍の赤い屋根が見えます。 
南岳近くから槍ヶ岳を撮影。
残雪のある場所が横尾右俣カール、その先に殺生ヒュッテの赤い屋根が見えています。

多くの登山者があこがれる槍ヶ岳は、その山容から想像するほどの難しさはありません。

槍の穂先と呼ばれる高さ100mほどの部分のみが核心部です。
代表的な槍沢ルート、飛騨沢(新穂高温泉から)ルート、西鎌尾根ルートともに槍ヶ岳山荘までは歩く距離が長いだけで難しい所はありません。

一方、表銀座縦走ルート(東鎌尾根)は鎖場が随所にあったり、ほぼ垂直で高度感のある梯子が架かっているなど、登山初心者にはやや難しいルートです。

槍沢ルート

梓川を遡上し、緩い登りが槍ヶ岳山荘まで続く
槍沢から登る槍ヶ岳

氷河公園の天狗池ルート

天狗池に投影される「逆さ槍」がビューポイント
氷河公園の天狗池から槍ヶ岳サブルート

東鎌尾根

槍ヶ岳の眺望抜群な変化に富んだ表銀座コース
東鎌尾根

西鎌尾根

槍平からの槍ヶ岳の眺望良好、ロングコースになる
西鎌尾根 鏡池に写る槍ヶ岳

喜作新道

大天井ヒュッテから西岳までのなだらかな登山道
喜作新道

飛騨沢ルート

飛騨沢を遡上する槍ヶ岳最短ルート 変化に乏しい
新穂高温泉から槍ヶ岳

登山ツアー

槍ヶ岳登山ツアー

槍ヶ岳登山ルート概要

標高3,180mで日本第5位の高さを誇る槍ヶ岳は(1位富士山、2位北岳、3位奥穂高岳、4位間ノ岳) 、日本百名山の中でも飛び抜けて人気のある山です。

北アルプスの中心的存在である槍ヶ岳の先端が鋭くとがっているのは、溶結凝灰岩という硬い岩石でできているため、氷河による侵食や風化に耐え、ニードルとして残ったものです。槍ヶ岳の地質学的な研究は信州大学教授の原山智の論文を参照してください。

代表的な登山ルートになっている槍沢は氷河活動によって出来たU字谷です。そして、その上部にはいくつかのカールが発達しています。特に「氷河公園」とも呼ばれる天狗原カールでは、天狗池の水面に映る「逆さ槍」が赤く染まったナナカマドと絶妙な景観を作り出す人気の撮影ポイントになっています。

御来光の時間に合わせて夜明け前にヘッドランプを点けながら槍の穂先へ登る登山者も多く見られます。8月1日で日の出時間は4時42分頃です。

登山コース案内

北アルプスを縦走する為の要所であり、ランドマーク的な存在でもある槍ヶ岳。南方向の穂高岳へと続く主稜線、北鎌尾根、東鎌尾根、西鎌尾根の各尾根筋ルート、槍沢、飛騨沢の各沢筋ルートなど、全部で6ルートが槍ヶ岳山荘の所で合流しています。

各ルートはそれぞれ難易度が異なり、初心者でも簡単に登れる槍沢ルート、飛騨沢ルート、エキスパートのみに許された北鎌尾根ルートなど、それぞれの経験、実力によって選ぶことができ、大変魅力的な山域となっています。

最短で登れる飛騨沢ルートのコースタイムは新穂高温泉ロープウェイ下の駐車場から登山:9時間30分、下山:6時間20分です。4月から10月の間は登山口に北アルプス山岳遭難対策協議会と岐阜県警察本部が運営する新穂高登山指導センターが開設され、各種登山情報を得ることが出来ます。次いで槍沢ルートは上高地から登山:10時間20分、下山:8時間00分です。

各ルートの中でも中房温泉を登山口とし、東鎌尾根を経由するルート(燕岳→大天井岳→赤岩岳→西岳→槍ヶ岳)は表銀座縦走コースと呼ばれ、 燕岳から常念山脈の縦走路を南下するにつれ、梓川を隔てて次第に近づいてくる槍ヶ岳にわくわく感を覚えるルートです。
特に西岳から東鎌尾根に入ると、天にその先端を突き刺す様に聳えた槍ヶ岳が次第に大きくなり、登頂意欲を掻き立てられます。

しかし、表銀座縦走コースはやや難易度が高く、喜作レリーフと大天井ヒュッテ間のやや高度感のあるトラバースには鎖場が随所にあったり、東鎌尾根に入ると高度感のある垂直に近い梯子が架かるなど、登山初心者には少し難しいかもしれません。

高瀬ダムのブナ立尾根を登山口として、西鎌尾根を経由するルート(烏帽子岳→野口五郎岳→鷲羽岳→双六岳→槍ヶ岳)は裏銀座縦走コースと呼ばれています。また、新穂高温泉を登山口として鏡平山荘を経由し、双六小屋から西鎌尾根に入ることも出来ます。弓折岳の稜線は高山植物が大変豊富な所です。又、西鎌尾根の硫黄乗越周辺にも広いお花畑があります。

槍ヶ岳の難所は槍ヶ岳山荘前から槍の穂先と呼ばれている僅か30分ほどの短い区間です。
槍ヶ岳山荘から見上げると垂直の壁に見えますが、実際登ってみると、さほど傾斜はきつくないと感じるはずです。
槍ヶ岳山荘前の広場にザックをデポして空身で登ります。 槍の穂先は登山用と下山用のルートに分かれています。 まず最初に現れる梯子の傾斜は70度、長さ6mほどで高度感はさほど感じません。
ついで現れる短い梯子を登って現れる鎖場が、登山用ルート中の核心部と言える所でしょう。
岩には鉄製のステップが打ってありますがやや難しく感じ、特に雨の日など、岩がスラブ状のためスリップしやすいため注意が必要です。
最後に山頂直下に2連でかけられた80度ほどの鉄梯子が、唯一高度感を覚えるところです。
鉄梯子を登りきると山頂に飛び出し、畳二十畳ほどの山頂からは360℃の大パノラマが展開します。

槍の穂先は雷の多発地帯で、天候が悪い日には槍ヶ岳山荘に設置された雷探知警報機を参照するといでしょう。
下山用のルートは登山用のルートとは別に付けられ、渋滞を緩和しています。
槍ヶ岳への日帰り登山は、最短コースの飛騨沢を使っても標高差が2,000mを越える為、健脚者のみの領域と言ってよいでしょう。

登山届の提出
長野県のホームページで携帯やパソコンから出来ます。また、岐阜県側からは岐阜県北アルプス山岳遭難対策協議会事務局のホームページから提出出来ます。また、各登山口(新穂高温泉、中房温泉、上高地)などの現地にも登山ポストが設置されています。

槍の穂先ルート

槍の穂先核心部ルート概要図

槍ヶ岳の穂先部分のルート地図

カール(圏谷)地形とモレーン

槍ヶ岳から穂高岳に向かって伸びる稜線沿いに、氷河活動によって削り取られたカール地形が連なっています。2万年前まで北アルプスは氷河で覆われていました。氷河は山腹を浅いお椀状に削り取り、カールやU字谷といった地形を作り出しました。槍ヶ岳から南に向かって順に殺生カール、大喰岳カール、中岳カール、天狗原カール、横尾右俣カールと連なります。

殺生カールの下には大槍モレーンと呼ばれる3列のモレーンが確認できます。そのうち一番下のハイマツ帯の中に大きな高まりとなっているものを通称グリーンバンドと呼んでいます。そしてババ平や一ノ俣、ニノ俣にも5〜6万年前の氷河によってできたモレーンが残っています。

北アルプスにおいて代表的なカール地形は穂高岳の涸沢カール白馬岳の白馬大雪渓立山の山崎カール黒部五郎岳の黒部五郎カール薬師岳のカール群などが挙げられます。

※モレーンとは氷河が終息するに従い、堆積物の小さな丘が残ったものです。

槍ヶ岳のカール群

槍ヶ岳のカール(圏谷)とモレーン地形

播隆上人による開山の歴史

交通網が発達している現代と違って、槍ヶ岳は平野部からのアプローチが容易ではなく、古代・中世にはもっぱら遥か彼方から仰ぎ見る秘峰でした。そのため江戸時代後期になってようやく開山されたのであります。日本の名峰が修験道に代表される山岳信仰によって奈良時代から平安時代にかけて開山されたのに比べ、この山の歴史は極めて浅いのです。

初登頂に成功したのは、越中国新川郡河内村(現富山市河内)出身の浄土宗の僧侶・播隆上人です。播隆は、近畿、美濃、飛騨地方を中心に念仏による布教活動を行っていた念仏の行者で、「南無阿弥陀仏」の文字が刻まれた名号碑や播隆名号軸などが多数残されており、活動の一端を知ることができます。播隆は、近江国伊吹山で山岳修行した後、荒れ果てた笠ヶ岳の登山道を整備し、山頂に仏像を安置するなどして笠ヶ岳を再興しました。その時播隆は、笠ヶ岳から望む槍ヶ岳から穂高岳にかけての鋭鋒の峰々に目を奪われたに違いありません。そして、槍ヶ岳開山は播隆の執念ともいえる生涯をかけての事業となったのです。

播隆は、文政9年(西暦1826年)松本の玄向寺の立禅和尚の紹介で中田又重郎を知りました。同年8月に又重郎の協力を得て、信州側から槍ヶ岳へ向かいました。既に飛騨新道が一部開かれていた為、鍋冠山を経て大滝山へは容易に登れたと思われます。大滝山で飛騨新道から別れ、蝶ヶ岳へ向かいました。蝶ヶ岳からわさび沢を下り、横尾山荘付近に出て、梓川を遡行し、現在の槍沢ルートにそって槍の肩まで登りました。しかし、1回目のチャレンジでは山頂に立つことは出来ませんでした。その時発見した坊主ノ岩小舎は次回のチャレンジの時の宿泊場所になりました。

2年後の文政11年7月、再び又重郎と共に槍ヶ岳を目指します。槍の穂先部分はロッククライミングでの登攀となりましたが、事前に大阪にて鋳造した銅像阿弥陀仏、銅像観世音菩薩と木造文殊師利菩薩の3体の仏像を苦心の末、山頂に安置しました。

更に播隆は、槍の穂先部分に鉄鎖を掛ける為奔走します。天保7年に鉄鎖の運搬が開始されましたが、松本藩から鉄鎖の取り付けの中止命令がくだされます。天保7年に入るとそれまで数年続いていた飢饉が更に悪化し、飢餓者を出すほどの惨状となります。播隆による槍ヶ岳開山が聖なる山を犯したとされ、それが大凶作の原因とされてしまった為です。天保11年飢饉も収まり、松本藩から鉄鎖の設置の許可が降りました。この年、念願叶って槍ヶ岳山頂の6ヶ所に鉄鎖を取り付けることが出来きました。笠ヶ岳の再興から十八年が経っていました。そして、播隆上人の功績により一般登山者も容易に槍ヶ岳へ登ることも出来るようになったのです。

 中田又重郎-公儀に鷹を献上する鷹庄屋中田九衛門の分家で、小倉村に住んでいました。鷹庄屋は将軍に鷹を取って献上する役目であったため、上高地周辺の山々の地理に詳しく、槍ヶ岳へのガイドとしては申し分ない人物だったわけです。 彼は、飛騨新道の開削にも尽力していました。

 飛騨新道-松本平〜小倉村〜鍋冠山〜八丁ダルミ〜大滝山〜徳澤〜上高地〜焼岳・中尾峠〜飛騨高山間の交通路。文政3年(西暦1820年)に着工して完成するまでに15年を要しました。しかし、諸般の事情で26有余年という、短命で廃道となりました。

槍ヶ岳山頂周辺の気温

山頂気温
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
最高気温(℃)
-12.3
-11.4
-6.8
1.1
6.5
9.9
13.2
14.9
9.8
3.6
-2.8
-9.2
平均気温(℃)
-16.3
-16.0
-12.4
-5.9
-0.7
3.3
6.8
8.1
3.9
-2.6
-8.4
-13.6
最低気温(℃)
-20.2
-20.4
-17.1
-11.8
-6.8
-1.8
2.4
3.3
-0.5
-7.4
-12.9
-17.2

槍ヶ岳へ登るための装備と服装

季節により変動する登山用具/装備品
用具・装備
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
ツェルト
×
×
×
×
ストック
スパッツ
手袋
サングラス
軽アイゼン
×
×
×
×
×
×
×
×
12本歯アイゼン
×
×
×
×
×
×
ピッケル
×
×
×
×
×
×
テント
×
×
×
×
×

ヘルメット


装備 チェック ワンポイントアドバイス
ストック 折り畳み式を購入すること。持ち手がTの字のタイプが最もお薦め。特に、下山時に使うと膝への負担が軽減されます。
アイゼン 4月末から5月上旬のゴールデンウィーク辺りで登山する場合、まだ多くの残雪があるため12本歯のアイゼンが必要です。槍の穂先は岩と雪のミックスになるため難易度は相当高くなります。
ピッケル アイゼンを使用する時に併用すると更に安全は高まります。
手袋 槍の穂先の鎖場で、三点支持で登る時に使います。革製の手袋がベストですが、軍手でもOKです。
ヘルメット 槍ヶ岳の穂先で使用。槍ヶ岳は、岩がしっかりしているので落石はほとんど起こりません。万が一の落石時に、頭部への損傷を防ぐことが出来、あれば安心です。
サングラス・ゴーグル 高山では紫外線が強いので目を守るためにあると快適です。特に雪のある時期には照り返しが強く、目を痛めます。
ツェルト 簡易テント:道間違いや怪我などによる遭難時、ツェルトに身を包んで救助隊が来るまで寒さをしのぎます。やや重たくなるの難点ですが、持っていれば安心です。

服装/装備品
服装・装備
ギア
チェック
登山地図
登山地図は必帯です。昭文社の山と高原地図があすすめです。
登山靴
槍の穂先に登るには、靴の先端が岩場を確実に捉える必要があり、靴底が比較的硬いゴムで出来た滑りにくい材質のものを選択すること。
上着(シャツ)
ポリエステル等の吸汗速乾性素材(ダクロンQDなど)の新素材のもの。綿はなかなか乾か無いため不可。
ズボン
速乾性で伸縮性のある化繊、ウールまたは両者混紡の長ズボンかニッカーズボン。ジーパンは伸縮性が不足することと、なかなか乾か無いため不可。
アンダーウェア
撥水性があり、速乾性のものでダクロンQDなど保温性のあるもの。綿はなかなか乾か無いため不可。
靴下 厚手の靴下。
レインウェア
セパレートタイプの通気性と防水性を兼ね備えたゴアテックスがベストです。防寒着としても使えます。
帽子
槍沢ロッジの少し上で森林限界を超えます。日よけ用のつばが広く軽いものをお奨めします。寒さが厳しいときは、耳を覆うニット製、冬山ではフルフェイスタイプをお奨めします。
防寒着
薄手のフリース,セーター、軽いダウンジャケット。槍ヶ岳山頂では、7〜8月でも最低気温が3度ほどに下がることがあります。軽くて保温性の高いものを選びます。ゴアテックスのレインウェアをその上に着ると更に保温性が高まります。
日焼け止め
森林限界を超えると直接日光が降り注ぐため紫外線が強いので必帯です。
耳栓
山小屋では大部屋が基本です。就寝時に いびきをかく人が必ずいます。耳栓の効果は絶大です。
飲料水
例)上高地から槍ヶ岳ピストン
体重60キロの人の場合:5.1リットル 槍ヶ岳山荘ででは宿泊者には無料で提供しています。
カメラ
槍の穂先の鎖場での撮影には片手で操作出来る軽いタイプの一眼レフカメラが向いています。ウエストポーチに収納出来る大きさであることが望ましいです。
ティッシュペーパー/ポケットティッシュ
登山中いきなりもよおした場合など、万が一の時のために必帯です。ポケットティッシュを水で濡らし耳栓として使う場合にも有効です。
救急薬品
擦り傷などに絆創膏、虫刺され薬品、トクホンのような筋肉痛に効く貼り薬。
ビニール袋
ごみ入れとして、使用前の下着入れ、使用後の下着入れとして7〜8個あると便利です。
保険証(コピー)
事故や遭難時に必要です。
ヘッドランプ
槍の穂先で御来光を迎えるために、暗いうちから登るために必要です。
バックパック 
一泊2日の二食付山小屋泊での登山が可能なのでザックの大きさは30L。
パックカバー 
ザックが濡れないようにするためのザックカバーは雨に日には絶対必要です。ザックカバーも雨衣と同様に防水性が衰えてきます。時折、防水スプレーをするなどのメンテナンスが必要です。
行動食
パン・ナッツ類・野菜ジュース、飲むヨーグルトなど立ち休憩で食べられるもの。
シュラフカバー
遭難時や混雑時の槍ヶ岳山荘(一つの布団に2人以上詰め込まれることがあります。)で役に立ちます。毛布2枚を床に敷きゴアテックス製のシュラフカバーに入ります。

明治時代以降の登山史

明治11年(1878年)、「日本アルプス」の名付け親でもある英国人技師・ウィリアム・ガウランドは、大阪造幣寮の招きを受けて来日した際、外国人としては初めて槍ヶ岳登頂を果たしています。その後、明治24年(1891年)、キリスト教の宣教師・ウォルター・ウェストンが登りました。ウェストンは後に「日本アルプス登山と探検」の中で、この山を「日本のマッターホルン」として紹介しています。その後、日本人では日本山岳会の岡野金次郎のほか、文豪の芥川龍之介なども登っています。そして、大正5年に上高地から槍ヶ岳間の登山道が完成し、近代登山の幕開けとなります。大正7年(1918年)、穂刈美寿雄は槍沢ロッジの前身となる「アルプス旅館」を槍沢のババ平に建設、大正9年(1920年)には、西穂高村の山岳案内人・小林喜作が、燕岳から常念山脈を南下して、東鎌尾根から槍ヶ岳へ通じる喜作新道を開き、槍ヶ岳のへのアプローチがさらに容易となり、身近な山となっていきます。

槍ヶ岳山荘では毎年9月第1土曜日に僧播隆上人を偲んで「播隆祭」が開催されています。

さらに詳しくは槍ケ岳山荘の創始者・穂苅三寿雄の『槍ケ岳開山 播隆 』の著書でどうぞ。

参考文献:名山の日本史


笠ヶ岳・笠新道から望む槍ヶ岳

笠ヶ岳・笠新道から望む槍ヶ岳
播隆上人も見たであろう笠ヶ岳・笠新道から望む槍ヶ岳。天に突き上げる鋭鋒に胸おどらせた事でしょう。 写真には飛騨沢ルートが描かれています。

松本駅前の僧播隆上人像

松本駅前の僧播隆上人像
1986年(昭和61年)8月に、彫刻家の上條俊介の手によるブロンズ製の「僧播隆上人像」が完成し、JR 松本駅東口に建立されました。

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新穂高温泉 新穂高温泉までのアクセスはこちら
中房温泉 中房温泉までのアクセスはこちら

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「37.槍ヶ岳・穂高岳 上高地 北アルプス」に収録されています。
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