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富士山世界文化遺産25の構成資産

富士山世界文化遺産構成資産マップ

富士山世界文化遺産構成資産マップ
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富士山世界文化遺産登録の理由

世界遺産には文化遺産、自然遺産、複合遺産の三つがあります。平成25年6月22日、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界遺産委員会において富士山は「信仰の対象と芸術の源泉」として文化遺産に登録されました。

村山浅間神社 (富士山興法寺) を拠点に始まった富士山における修験道、江戸で人気を博し一般大衆化した富士講による登山など「信仰の対象」としての富士山。

雄大で美しい姿から「万葉集」「竹取物語」「古今和歌集」「伊勢物語」などの古典作品をはじめ、様々な現代文学者によって詩や歌に詠まれてきた富士山。
また、葛飾北斎や歌川広重などの絵画に描かれるなど様々な創作活動の題材となってきた事などが「芸術の源泉」としての富士山であり、これら二つの視点から世界遺産に登録できる十分な理由とされたのです。

静岡県と山梨県に跨り、国内で17件目の世界遺産として2013年に登録されました。そしてこの貴重な資産は、未来に向けて大切に守って行くことが求められます。

25の構成資産

1-1.山頂の信仰遺跡群-富士山域 【山梨県・静岡県】

富士山と五重塔「忠霊塔」と桜

富士山域は、9の構成要素に細分化されています。富士山の約標高1500m地点で俗界と清浄域とが区切られています。ちょうど馬返し以上が信仰世界にあたり、富士講の道者達が巡拝した御中道などもその範囲に含まれます。

山頂には、富士山における修験道の開祖・末代上人が大日寺を山頂に建立した12世紀半ば以降、火口壁に沿って神社などの宗教関連施設が作られるようになりました。富士への一般登山者の登拝が開始されると寺院の造営や仏像等の奉納が行われるようになり、院内(噴火口)における神仏習合の宗教行為が体系化されて来ました。

修験者や道者は、山頂において「御来光」を拝むことや火口の周辺にある八つの峰に置かれた仏様を拝し、極楽浄土を表す八葉蓮華に見立てて頂部を巡る「お鉢巡り」を行っていました。しかし、明治元年の神仏分離令に伴い廃仏毀釈が起こり、仏教に関するものは取り除かれてしまいます。例えば、仏像などは壊され、或いは麓に降ろされたりしました。八つの峰の名前は、仏教色の無い名前に変更され、例えば大日岳から朝日岳になるなどといった具合です。

とはいえ、現代においても多くの登山者がお鉢巡りなど同様のことを行っており、これらを通じて富士山信仰の核心が現代にも確実に受け継がれているといえます。

1-2.1-3.1-4.1-5.登山道-富士山域

1-2. 大宮・村山口登山道  (現富士宮口登山道) 【静岡県 富士宮市】

大宮・村山口登山道 

富士山世界文化遺産構成資産となっているのは現在の富士宮口登山道の六合目以上です。

富士宮口登山道は、末代上人縁の富士山興法寺(現在村山浅間神社)を起点としていたので村山口と呼ばれたり、富士山本宮浅間神社の湧玉池で水垢離を取り、富士山頂を目指した事から大宮口とも呼ばれました。

末代上人は、平安時代の末期・1149年(久安5年)には、富士山に何百回と登山を行った修行僧で、富士上人と号し、富士山頂に大日如来を祀った大日寺を建立した人物です。

また、末代上人は、鳥羽法皇の勅命により、岩本実相寺(元 静岡県富士市岩本1847)を創建した天台宗の初代院主智印法印上人の弟子としても知られていました。

末代上人の死後、後継者達の活動により、鎌倉時代には富士山興法寺(現村山浅間神社)が成立し、富士山を仏教修行の山として修験道の拠点が村山に出来ました。

江戸時代になると江戸を中心とした富士講が盛んになり、登山者は吉田口や須走口に集まるようになります。そのため、村山・大宮口から登山する人々は次第に減少していきます。

明治の神仏分離令により富士山興法寺が廃寺となると村山を通る根拠を失い、1906年(明治39年)には、村山を通らない新しい登山道(大宮新道)が開かれました。大宮新道は、現新6合目で村山からの登山道を合わせる所に開通しました。

1970年(昭和45年)に富士山スカイラインが富士宮口5合目まで開通すると、 富士山本宮浅間神社でお参りをして富士山に登山するという人々はほとんど見られ無くなってしまいました。

現在、大宮新道のルートがどこになるのか明確に分りませんが、村山口からのルートは地元の人たちの努力によって登山道が整備され、登山が可能になっています。

※ 現在の富士宮口ルートの詳細もご覧ください。

※ 復活した村山古道の詳細もご覧ください。


1-3. 須山口登山道 (現御殿場口登山道) 【静岡県 御殿場市】

須山口登山道 (現御殿場口登山道)

旧須山口登山道(現御殿場ルート)の標高2050m地点の二合八勺(次郎坊)から山頂間と須山御胎内から幕岩間が世界文化遺産富士山構成資産として登録されています。

須山浅間神社を拠点とする須山口登山道の成立は、少なくとも15世紀後期(室町時代)に遡ります。登山道は、現在の宝永火口の中を直上りする様に付いていました。

しかし、1707年(宝永4年)の富士山宝永噴火で、登山道沿いに宝永火口が出現するなど、ルートの中間部分が完全に吹き飛ばされてしまいました。

この噴火では富士山の南東側を登る須山口ルートに最も甚大な被害が出ました。そのため、一時的(約70年間)に信仰登山口しての機能を失うことになります。以後、須山口登山道は復興されましたが、1889年(明治22年)に東海道線が開通し、御殿場口が便利になると次第に衰退していきます。(現在の御殿場口登山道は、二合八勺の次郎坊で、須山口登山道に合流する様に開通しました。)

平成に入り、地元須山の人々の手によって須山口登山歩道・下山歩道が整備され、旧道を登ることが出来るようになっています。ルート詳細は裾野市観光協会で確認してください。

※ 現在の御殿場口ルートもご覧ください。


1-4. 須走口登山道 【静岡県 小山町】

須走口登山道

須走口登山道の起点は、東口本宮冨士浅間神社 (須走浅間神社)です。現在、ふじあざみラインが須走5合目まで伸びていますが、途中の馬返しから旧登山道が再整備され、須走五合目まで自分の足で登ることが出来ます。

世界遺産に登録されている区間は、須走五合目から山頂までです。

須走口登山道の特徴は、針葉樹林帯の区間が長いことです。車で行ける最高到達点は、古御岳と呼ばれる海抜2000mです。そこから森林限界の2800m地点まで動植物が豊富です。日本野鳥の会では探鳥会を日本で初めて行いました。野鳥が多いということは餌にする昆虫も多いということになります。

須走口登山道の成立は、平安時代に遡ることは確かです。大日如来が陰刻された「懸け仏」が石室のある場所から発掘されています。そこには1384年(至徳元年)の銘が刻まれているため、既にその頃には登山者のための宿泊施設や茶屋などの休憩施設が作られていたことは間違いありません。

更に須走口登山道の存在を確かにする資料として、富士河口湖町の妙法寺の年代記「妙法寺記」の中の1500年(明応9年6月)の記事があります。それによると、関東で起こった「長享の乱(1487年〜1505年)」のため吉田口から登るはずの登山者が須走口に廻ったとあります。

道者が富士山に登るために支払わなければならない入山料(関銭)と山頂火口の内院に奉納するお賽銭(参銭)は莫大なものになっていたと思われます。戦国時代の大名今川義元や武田信玄などはこの富士山に関わる利権を独占したいという思惑が働きます。今川義元が関銭の徴収のため葛山氏元に命じて「富士山警固衆」を派遣するよう指示した文章が残されています。

江戸時代に入ると富士講の発展と共に御師の数も増してきます。御師の活動は、登山シーズン以外各地の檀家を回って御札を配り「御初料」をいただくという事をしていました。 しかし、1707年(宝永4年)11月23日の宝永大噴火では、須山口同様甚大な被害を受けます。登山口の須走浅間神社やお寺などは大破し、3mもの火山灰が積もったといいます。

江戸幕府から登山道や宿泊施設の復興のため、お救い銭なるお金「1333両」が配られたと言います。翌年には積もった砂の上に各種の設備が再建され、登山可能になります。幕府にとっても道者から徴収する各種のお金が貴重だったようです。

明治元年に発布された神仏分離令は、日本における最大の宗教弾圧です。仏教に関わるものは破棄するという廃仏毀釈運動が須走村では徹底して行われた様です。そのため、神仏習合として発展してきた須山浅間神社内のお寺は廃寺となり、登山道沿いに置かれた仏像は壊されたり、麓に降ろされたりして仏教色がことごとく無くなります。この運動の中心となったのは浅間神社神職や御師達であった様です。

※ 現在の須走口ルートはこちら


1-5. 吉田口登山道 【山梨県 富士吉田市・富士河口湖町】

吉田口登山道

吉田口登山道は、富士吉田市にある北口本宮冨士浅間神社の奥の山門をくぐって真直ぐに山頂に向かって伸びる登山道を登ります。資産の範囲は、北口本宮冨士浅間神社から山頂までです。

現在でも山頂まで登山道はしっかりと整備され登ることが出来ます。途中数々の富士講や修験道の遺構が残されています。

五合目の佐藤小屋で右手に富士スバルライン五合目方面を分けます。関東地方から来る沢山の富士講の道者は、右手に進み小御岳神社でお参りして、富士山の五合目辺りの中腹を一周する「御中道巡り」行い、食行身禄が入定した烏帽子岩を巡礼しました。

八合目で、須走口と合流すると雲は眼下を流れ、高さを感じます。八合目から一気に傾斜が増し、呼吸を整えてゆっくり進むと、山頂の一角に建つ久須志神社前に飛び出します。

北口本宮冨士浅間神社から六合目
富士スバルライン5合目から山頂

1-6.北口本宮冨士浅間神社-富士山域 【富士山北麓・富士吉田エリア】

北口本宮冨士浅間神社大鳥居

【大鳥居】
国道138号から両脇を石灯籠が立ち並ぶ荘厳な雰囲気が漂う杉並木の参道を進むと大鳥居があります。木造では日本最大の「富士山大鳥居」で、額字に「三国第1山」とあります。日本武尊の古事に従い建立されたもので、高さは17.7m・明11.55mの丹塗りの両部鳥居です。60年ごとに修復され、現在のものは平成26年に修復されたものです。


北口本宮冨士浅間神社

【北口本宮冨士浅間神社】
1900年以上の歴史のある日本屈指のパワースポットです。中央に本殿、左手に手水舎、右手に神楽殿が建っています。御神木が3本現存し、本殿左手の第1神木を富士太郎杉(樹齢1000年以上)、本殿右手の第4神木を富士夫婦桧、また第2神木を富士二郎杉と称し、いずれも天然記念物に指定されています。

富士山を背に広大な諏訪の森に鎮座している北口本宮冨士浅間神社は、日本武尊が富士山の遥拝所に定めたのが起源と伝えられています。垂仁天皇の御代、勅命を持って火山鎮護を目的として建立されたものです。


北口本宮冨士浅間神社本殿

北口本宮冨士浅間神社本殿室内
御祭神は、木花開耶姫命・大山祇神・ 彦火瓊瓊杵尊で、本殿は、元和元年(1615年)に江戸時代前期の大名であった甲斐谷村藩初代藩主の鳥居土佐守成次により建立された荘厳華麗な桃山様式です。後に秋元富朝、秋元喬知らによって造修されました。本殿は、昭和20年8月3日国の重要文化財に指定されました。

江戸時代に入ると富士山に登拝するために組織された富士講が隆盛し「江戸八百八講」とうたわれるほどになります。 道者と呼ばれる信仰登山者は、甲州街道から富士道を通って御師屋敷が立ち並ぶ上吉田宿にたどり着きます。そこで登拝の清めを行い、北口本宮冨士浅間神社にお参りを済ませた後、神社の裏手が起点となる「吉田口登山道」を「六根清浄」を唱えながら、背後に聳える世界遺産の富士山を目指しました。


手水舎

【手水舎】
水盤石に立つ青銅の竜の口から水が出てきます。富士八海の湧水から引いた水がコンコンと流れ出ています。延享2年(1745)に建立され、後に富士講中興の祖・村上光清らによる大修理が施されました。「手水」は、参拝する前に手と口を清めるために行うものです。


北口本宮冨士浅間神社西宮本殿

【西宮本殿】
西宮本宮は、昭和28年国指定重要文化財となっています。祭神は、天照大神、豊受大神。文禄3年(1594年)谷村城主浅野左衛門佐氏重により東宮に替る本殿として造営され、元和元年(1615年)鳥居成次の本殿建立により現在地に移され、西宮となりました。その後、亨保19年(1734年)村上光清により大修復が行われました。形式は東宮と同じ一間社流造りので、優美な室町時代末の建造物で当時の手法を保存しています。


諏訪神社

【諏訪神社】
祭神は、建御名方神・八坂刀賣神。本殿は一間社流造り、拝殿は切り妻造りです。本殿は鎌倉時代の建物と口伝されますが、昭和2年火災に遭います。昭和51年文化財建造物保存協会技官広瀬沸師の設計管理により再建されます。往古は独立した一社でしたが、明治時代浅間神社に統合されました。8月26日に行われる吉田の火祭り(鎮火祭)は、もともと諏訪神社の祭りでしたが、現在は浅間神社と共同で開催される山じまいの風物詩となっています。

基本情報
  • 名称:北口本宮冨士浅間神社 (富士山世界文化遺産構成資産)
  • 住所: 〒403-0005 山梨県富士吉田市上吉田5558番地
  • アクセス: 富士急行大月線富士山駅から山中湖・三島・御殿場方面行きに乗り、浅間神社前で下車。新宿駅西口・横浜駅・東京駅・大阪京都駅から高速バスで富士急ハイランドへ、そこからタクシー・徒歩・ふじっ湖号。詳細は富士急行のホームページ
  • 営業時間:祈祷・結婚式などのお問い合わせ受け付けは午前9時〜午後5時。
  • 吉田の火祭り(鎮火祭)開催日: 8月26・27日の2日間、26日夜に行われる大松明の焚き上げがクライマックス。
  • 電話番号:0555-22-0221
  • 祈祷料金: 個人五千円・団体1万円から、結婚式の挙式料5万円から、
  • 駐車場:5ヶ所あり、合計100台駐車可能。
  • 公式サイトURL:http://www.sengenjinja.jp/

1-7.1-8.1-9.11.12.富士五湖 -富士山域

冨士講の祖・長谷川角行の富士八海

富士五湖が世界文化遺産に登録されたのは、景観が美しいというだけの理由からではありません。「信仰の対象」「芸術の源泉」としての性質の2面から見て登録にふさわしいと判断されたからです。本栖湖は、この二つの側面からの登録になり、他の四湖は「信仰の対象」が登録の理由です。

富士講の信者は、「富士八海(外八海、内八海)」を巡拝してから、富士登山を行ったと言われています。

富士八海とは、富士信仰の祖・長谷川角行が身を清めるための水行修行した全国にまたがる16湖のことです。
富士八海では「外八海」と「内八海 」の二つがあり、「外八海」は富士山を中心に京都から関東地方へかけて楕円形に点在する琵琶湖(竹生島)、二見浦、箱根湖(芦ノ湖)、諏訪湖、中禅寺湖、榛名湖、桜ヶ池、鹿島海(霞ヶ浦)などです。外八海を巡拝するための総距離は1600kmにも及ぶと言われています。

「内八海 」は、富士山を取り囲むように点在する仙瑞(泉水)、山中湖、明見湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖、四尾連湖 などです。

長谷川角行から六世にあたる食行身禄は、富士講中興の祖と呼ばれ、吉田口登山道の途中(現在の8合目)の烏帽子岩に籠り、1ヶ月後にこの世を去ります。これは宗教的な自殺のことで「入定」と言います。入定の様子を食行身禄の弟子田辺十郎右衛門に記録させたのが「三十一日の巻」で、教えを伝えるために書かれたものです。文中、食行自身が「水行」を行った湖沼として富士八海の記述も出てきます。

「外八海」の巡礼はあまりに遠く多くの時間を要するため、時代が下ると共に「内八海 」を巡拝するようになり、大寄友右衛門による 「富士山根元八海霊場」が忍野八海に定着すると、更にコンパクト化された巡拝になっていったと言います。

世界文化遺産の登録に際し、富士五湖だけではなく、仙瑞、明見湖、四尾連湖なども含めるべきだという主張もありましたが、観光産業を優先したいという山梨県の担当者の思惑が働き、富士五湖のみが登録されたという経緯があります。


1-7. 西湖 【山梨県 富士河口湖町】

十二ヶ岳山頂から望む富士山と西湖

【十二ヶ岳山頂から望む富士山と西湖】
かつて石花湖と呼ばれた西湖は、足和田山、紅葉台、毛無山、十二ヶ岳などに囲まれ、その澄んだ湖面はひときわ美しく際立っています。甲府盆地と駿河湾を最短で結ぶルート「中道往還」の要衝にあたり、昔から栄えて来ました。

「さかなクン」によって絶滅したと思われたクニマスが発見され、後に京都大学の調査により確認された事でも注目されています。

864年(貞観6年)の貞観大噴火は、富士山北側の1合目付近の長尾山を噴火源として、すさまじい溶岩流が北西方向に向かったと言います。この青木ヶ原丸尾溶岩流によって富士山の北麓にあった広大な湖「せの海」の大半が埋没し、その残片が現在の西湖と精進湖であると当時の正式な歴史書「三代実録」に記載されています。その溶岩の上に出来たのが青木ヶ原樹海です。

西湖周辺では鳴沢氷穴、富岳風穴、西湖コウモリ穴など貞観大噴火によって出来た特異的な地形や風景を満喫出来ます。


1-8. 精進湖 【山梨県 富士河口湖町】

精進湖

【精進湖でボートを楽しむ人々と富士山】
富士五湖の中で最も小さい湖の精進湖を土地の人は「出生龍神」と呼んでいます。貞観6年に起こった貞観大噴火の溶岩が埋め尽くした「せの海」の一部が湖水として残存したものです。

明治時代、ここから眺める富士山の美しさに魅せられ、イギリス人のホイットウォーズが世界に紹介したことで、多くの外国人観光客が訪れています。

湖の北側から大室山を抱っこした「子抱き富士」が見られるのも精進湖からの眺めです。


1-9. 本栖湖 【山梨県 富士河口湖町】

本栖湖

【瑠璃色に輝く湖水に映える富士山】
土地の人は本栖湖を「古根龍神」と呼び、水深が121.6m と富士五湖の中では最も深く、透明度が高いのが特徴です。

湖底には縄文時代と古墳時代の遺跡が確認されています。富士山の度重なる噴火によって流入した溶岩によって水位が上昇したためと考えられています。

本栖湖は、故岡田紅陽が本栖湖の北西岸・中ノ倉峠から撮影した富士山の写真「湖畔の春」が1000円札、旧5000円札の図案に採用されるなど、「芸術の源泉」という側面と、富士八海という「信仰の対象」という二つの側面から世界遺産に登録されています。

昭和13年(1938年)に発行された50銭紙幣通称「富士桜」に描かれた富士山の図柄も岡田紅陽が愛鷹山(越前岳)から撮影した写真が元になっています。


11. 山中湖 【山梨県 山中湖村】

 山中湖

【石割山からの山中湖と富士山】
湖の形から臥牛湖の名が付く山中湖は、富士五湖の中で一番大きい湖で、南湖畔にはおしゃれなレストランやカフェ、ミュージアム美術館などが点在しています。毎年11月と2月には北岸から富士山頂に沈むダイヤモンド富士が見られます。

地元では「作薬龍神」という呼び名もあり、「山中湖へ牛を入れて雨乞いをすれば、たちまち願いが叶う」と言い伝えも残ります。


12. 河口湖 【山梨県 富士河口湖町】

河口湖

【河口湖北岸から望む富士山】
土地の人達が「水口龍神」と呼ぶ河口湖は、富士五湖の中で首都圏から最もアクセスが良く、富士五湖観光の玄関口となるため早くから発展した所です。湖畔には個性豊かな温泉やミュージアムなどの観光施設が建ち並んでいます。富士五湖の中でも最も富士山ビュースポットが多く、北岸から見える逆さ富士は有名です。

かつて、河口湖の北岸の集落は、多くの御師宿坊が並び建っていた所で、中部地方や北陸地方からの登拝者を受け入れていた登山拠点でした。河口浅間神社にお参りを済ませ、母の白滝で水垢離をし船津口登山道を登りました。この登山道は富士山頂まで直接登ることが出来た様ですが、江戸時代になると吉田口登山道の5合目に合流する様になります。登山道は車が入れるよう整備され、1951年(昭和26年)に5合目まで登山バスが行くようになりましたが、1964年(昭和39年)に富士スバルラインが開通するとその役割を終えます。今でも登山道として利用することが出来ます。

2.富士山本宮浅間大社 【静岡県 富士宮市】

富士山本宮浅間大社

1, 大鳥居と富士山

富士山本宮冨士浅間大社の大鳥居と富士山

境内の東・西・南には立派な鳥居が建っています。鳥居をくぐり参道と進むと富士山そのものをご神体とする浅間神社の総本宮が祀られています。富士山の八合目以上を境内地として所有し、山頂には奥宮を祀っています。

奥宮は、12世紀の中頃末代上人により「大日寺」が建立されたのを起源とし、「大日堂」を経て、明治元年に明治新政府により発布された神仏分離令により、富士山本宮浅間大社の奥宮となりました。

富士山本宮浅間神社と湧玉池は、世界遺産富士山の構成資産となっています。

2, 富士山本宮浅間大社本殿

富士山本宮浅間大社本殿

社伝によれば、平安時代の大同元年(806年)に坂上田村麻呂が山宮から現在地に遷座建立したとされています。富士山の噴火により国中が荒れ果てたため、山霊を鎮めるため、浅間大神(木花之佐久夜毘売命/このはなのさくやひめのみこと)を主祭神として祀ったのが始まりです。以降、朝廷や武将から崇敬を受け、全国に約1300余社ある浅間神社の総本宮と称えられています。

木花之佐久夜毘売命は、日本神話に登場する美貌と貞淑の誉れ高い祭神として全国的な崇拝を集めています。家内円満・安産・水徳などに御利益があり、パワースポットとしての参拝や神前挙式プランが用意されています。

境内には、武田信玄公手植えの枝垂れ桜の二世が春になると花を咲かせます。また、「木花」という御神名から桜が御神木とされ、500本もの桜が奉納されています。

関ケ原の戦いで勝利した徳川家康の庇護を受け、慶長9年(1604年)本殿・拝殿・楼門を始め30余棟に及ぶ大造営がなされました。現存する高さ13メートルの本殿は、三間社流造の2階を持つ檜皮葺の建物で、浅間造りと呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。


3, 湧玉池と水屋神社

富士山本宮浅間大社の湧玉池と水屋神社

本殿の東側にあり、富士山に降った雨や雪が神立山の溶岩の間から湧き出ている霊池です。富士宮市を流れる神田川の水源で、昭和27年(1952年)3月29日に国指定特別天然記念物に指定され、「平成の名水百選」にも選ばれています。水温は年間を通して摂氏13〜14度、湧水量は毎秒3.6キロリットル、日量20万トンと豊富です。

室町時代の富士登山を描いたとされる「絹本著色富士曼荼羅図」(重要文化財指定)には、湧玉池(上池の禊所)で斎戒沐浴して六根清浄を唱えながら登拝する姿が描かれています。

勇玉池は上池と下池に別れ、下池の中にある川中島には厳島神社が祀られ、神路橋と神路枚橋とにより結ばれています。上池の畔には水屋神社が建ち、御霊水を容器に入れて持ち帰ることが出来るようになっています。

富士山本宮浅間大社開山祭 7月10日

1, 大鳥居の前で行われる富士山開山式

大鳥居の前で行われる富士山開山式

7月10日に富士山本宮浅間神社の大鳥居の前で行われる富士宮市の富士山開山祭。

午前9時10分から一番バスを出迎え、富士宮市長による「富士山夏山シーズン開会宣言」に続いて一番バス安全祈願祭などが行われます。

2, 御柱を担いだ氏子達が本殿に向かいます

御柱を担いだ氏子たち

御柱を担いだ氏子たちが本殿に向かいます。それに続いて英国大使館、市長、来賓などが本殿に移動します。

3, 大宮小学校4年生による歓迎

大宮小学校4年生の歓迎

大宮小学校の4年生たちが、参道にて歓迎の小旗を振って出迎えます。

4, 本殿で行われる富士山開山祭神事

本殿で富士山開山祭神事

本殿において富士山開山祭神事が執り行われます。続いて本殿前で宣言大社青年会による湧水献上、山岳救助隊夏山救助開始式、祈祷殿前で開山式典(富士宮市長の挨拶、英国大使館の挨拶、来賓祝辞、英国大使館と大宮小学校児童の交流会)などと続き、10時30分で終了です。その後バスで、関係者は村山浅間神社へ向かいます。

4, 動画



基本情報
  • 名称:富士山本宮浅間大社 (富士山世界文化遺産構成資産)
  • 住所:〒418-0067 静岡県富士宮市宮町1-1
  • アクセス:JR富士宮駅から徒歩10分
  • 営業時間:境内散策無料で、午前5時から午後8時(閉門)・季節により変動あり、祈祷・結婚式などのお問い合わせ受け付けは午前9時〜午後5時。
  • 電話番号:0544-27-2002
  • 祈祷料金: 個人五千円・団体1万円から、結婚式の挙式料5万円から、
  • 駐車場:150台駐車可能、参拝者は、30分まで無料・以降1時間200円
  • 公式サイトURL:http://fuji-hongu.or.jp/sengen/

3.山宮浅間神社 【静岡県 富士宮市】

山宮浅間神社

【山宮浅間神社の大鳥居】
富士山本宮浅間大社の社伝によると、富士山本宮浅間大社の前身とされる神社です。日本武尊が創建したとされています。本殿に当たる場所に社殿が無く、富士山を直接礼拝する遥拝所を設けるという独特な形態は、噴火を鎮めるために山を遥拝していた古代の富士山祭祀の形をとどめていると考えられます。

拝殿や本殿が存在しない山宮浅間神社ですが、鳥居の先の境内には籠屋(こもりや)と呼ばれる建物があり、かつて神事の際に富士山本宮浅間大社の神官らが参籠したとされています。現在の籠屋は昭和8年に建築されたものです。


山宮浅間神社の遥拝所に登る参道中央に鉾立石

【山宮浅間神社の遥拝所に登る参道中央に鉾立石】
石灯籠が建つ参道の中央に鉾立石が置かれています。山宮御神幸いの折浅間大神は、鉾に宿り山宮へ向かったとされ、途中の御休み所には、鉾を置く「鉾立石」が設けられました。鉾立石は道筋にいくつかあったと言われていますが、現在は富士山本宮浅間大社楼門前に一つ、山宮浅間神社に二つ残されています。


山宮浅間神社の遥拝所から望む富士山

山宮浅間神社の遥拝所から望む富士山
富士山自体を神と考え、その山体を遠くから拝む場所として遥拝所が設けられています。遥拝所の周囲を取り囲むように、青沢溶岩流の溶岩塊上に溶岩礫の石塁が積み上げられています。石塁の下からは祭事に使う土器が発掘されています。遥拝所内は柵に覆われ立ち入りが禁止されています。


山宮浅間神社の案内所と公衆トイレ及び駐車場

山宮浅間神社の案内所と公衆トイレ及び駐車場
山宮浅間神社案内所にて、ご参拝記念として御札500円、御守300円、神話ストラップ御守300円、御朱印300円などが販売され、「富士檜」を使用したオリジナル御朱印帳は案内所では2700円税込み、郵送の場合は3600円です。

基本情報
  • 名称:山宮浅間神社 (富士山世界文化遺産構成資産)
  • 住所:〒418-0111 富士宮市山宮740
  • アクセス:JR身延線富士宮駅バス停(4番乗り場)から粟倉万野線に乗車、万野団地入口バス停で下車 [約9分・運賃250円]。万野団地入口バス停から徒歩で約30分。
  • 営業時間:土日祝日午前9時から午後5時まで、富士山世界遺産ガイドが無料で案内してくれます。
  • 電話番号:富士宮市役所文化課 0544-22-1111、[休日] 山宮浅間神社案内所 : 0544-58-5190
  • 駐車場:普通車約10台、大型車1台駐車可能です。 参拝者は無料
  • 公式サイトURL:http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/fujisan/llti2b0000001lot.html

4.村山浅間神社 (富士山興法寺) 【静岡県 富士宮市】

富士山本宮冨士浅間神社の大鳥居と富士山

【村山浅間神社】
村山浅間神社は、富士根本宮村山浅間神社というのが正式名称です。平安時代末期に末代上人によって広められた村山修験の中心地です。末代上人は即身仏となって村山の守護神になったと言われており、村山浅間神社の上部にある氏神社(高嶺総鎮守)に祀られています。

現在でも大日如来像などを祀った大日堂の左隣に村山浅間神社があり、神仏習合の姿をとどめています。又、富士山信仰者(道者)達に使われた水垢離場や護摩壇などが残されているほか、境内の大杉と銀杏が静岡県の天然記念物に指定されています。

12世紀頃に富士山の噴火が沈静化すると末代上人など山頂で修行する人々が現れました。これが発展する14世紀初頭には、富士山における修験道が成立します。富士山への登山は修験者(山伏)だけではなく、修験者が先達として一般の登山者(道者)を導くことが出来る登山道が確立していたと思われます。この中心となったのが村山浅間神社(富士山興法寺)です。

江戸時代には、村山は聖護院を本地とする富士山興法寺の別当(大鏡坊・池西坊・辻之坊)が管理する修験の集落でした。1707年(宝永4年)の噴火の影響で後退し、明治元年の神仏分離令による廃仏毀釈で決定的な衰微を迎える事になります。 江戸時代までここの修験者達が大宮・村山口登山道を管理しました。


村山浅間神社境内の大銀杏と本殿

【村山浅間神社境内の大銀杏と社殿】
境内の中心に巨大なイチョウの木があります。高さ16m、幹周り9.2m、気根(乳状下垂)は70本ほどあり、長いもので2mに達しています。気根を「乳」ともいい、先端部に針をさして祈ると妊産婦の乳がよく出るという伝承があります。昔はウロの中には大日如来が祀られていたようで、祭りの時にはしめ縄が貼られます。千年杉と共に静岡県の天然記念物に指定されています。

イチョウの木の右奥が村山浅間神社の社殿で、現在の建物は1913年(大正2年)に建てられたものですが、幣殿と拝殿は老朽化したため、鉄筋コンクリート一部木造に改築・補強がなされています。


富士山本宮浅間大社の湧玉池と水屋神社

村山浅間神社社殿内部
平安時代末期の末代上人は浅間大菩薩という仏教的な位置付けを行い、村山修験が始まりますが、江戸時代になって神道的解釈が加わり、主祭神を木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)としました。

幣殿奥の本殿の真ん中に木花咲耶姫命、左座に大山祗命、彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っています。


富士山興法寺大日堂

富士山興法寺大日堂
大日堂は、明治元年の廃仏毀釈までは大日如来坐像(文明10年銘)を本尊として祀る富士山興法寺の中心的建物でした。明治初年、神仏分離・廃仏毀釈運動を受けて富士山興法寺は廃され、大日堂と浅間神社に分離されました。

現在、大日堂には、廃仏毀釈の際に富士山中から降ろされたと伝わる1259年(正嘉3年)と1573年(元亀4年)銘の大日如来像、1608年(慶長13年)銘の役行者像などが祀られ、柱には富士峰修行の打札も残されています。

現在の建物は江戸時代末期の建築と考えられます。平成26年度に解体修理を行い、内陣の形状や向拝など、後年に改変された部分の復元を図りました。又、屋根は、金属板葺きで、かつての茅葺き屋根の形状を再現されています。

修験道の祖と言われる役行者が夜になると海の上を走り、配流地の伊豆大島から山を越え谷を渡り、富士山で練行したという伝承があります。富士山東麓から北麓にかけて役行者伝説が残っています。富士宮市周辺に役行者伝説が残っていないのは、末代上人の存在が大きかったと考えても良いでしょう。


護摩壇

護摩壇
護摩は、修験道における重要な修行の一つで、入峰や修行が終わった時に護摩を焚いていました。 現在の護摩壇は、1857年(安政4年)に「大棟梁権現社」拝殿跡の上に、修験者(法印)や村山周辺の道者によって造営されたものと考えられています。正面には不動明王像が祀られています。大棟梁というのは「村山修験の祖」末代上人のことで富士大権現ともいいます。

護摩焚きは、第2世界大戦で途絶えましたが、1975年(昭和50年)に氏子の記憶に従い復活させました。1979年(昭和54年)には、京都聖護院から宮城信雅師の指導のもと古来の護摩供養の手法で執り行われました。

7月10日の富士山開山祭では、富士根北中学の男子生徒がふんどし姿で禊を行い、京都聖護院派の修験者がほら貝を吹きながら六道坂を登り、古式に従って護摩壇に火が入ります。


氏神社(高嶺総鎮守)

氏神社(高嶺総鎮守)
村山浅間神社社殿と富士山興法寺大日堂の奥に赤い鳥居があり、階段を登った先に氏神社(高嶺総鎮守)が祀られています。社殿は平成14年に新築されました。

境内の護摩壇がある場所に末代(富士上人)を祀った大棟梁権現社がありましたが、移され氏神社として高根総鎮守社となりました。


水垢離場と不動明王像

水垢離場と不動明王像
道者(富士登拝者)は、富士登山の際、村山修験の本拠地である富士山興法寺で水垢離を取り、身を清めるのが習いでした。その様子が室町時代に描かれた「絹本著色富士曼荼羅図」に見ることが出来ます。この水垢離場へは、社叢裏手から湧く龍頭池から水が引かれており、石垣の上には修験道の本尊とされる不動明王像が祀られています。

背景の建物は富士山興法寺大日堂です。


千年杉

千年杉
樹齢600年以上と考えられる巨大な杉が境内の東側に立っています。高さは40メートルを超え、胸高幹周り約10メートルです。静岡県神社庁の御神木の認定がなされています。


村山浅間神社案内所

村山浅間神社案内所
村山浅間神社案内所の開館時間は10:00〜15:00、土・日曜、祝日のみ開館しています。1台の駐車スペースとトイレが併設され、その脇に初代駐日英国公使ラザフォードオールコックの幕末日本滞在記「大君の都」の一節が書かれた石碑が建っています。

又、境内にも、ラザフォード・オールコック富士登山150周年記念碑が建てられています。

ラザフォード以下総勢8名の英国人一行は、1860年9月9日(万延7月24日)村山大鏡坊に宿泊し、翌25日に村山の山伏の案内で、外国人として初めて富士山に登りました。

富士宮口5合目にも富士宮市によって作られたラザフォードのレリーフがあります。


村山ルートの登山口

村山登山ルートの登山口
村山浅間神社の西側に村山口ルートの登山口があります。
2003年(平成15年)から畠堀操八らの手によって村山口登山道は整備され、2年後に登山出来るようになりました。現在は、地元の有志らによって登山道の整理が行われています。

基本情報
  • 名称:村山浅間神社 (富士山世界文化遺産構成資産)
  • 住所:〒418-0012 静岡県富士宮市村山水神1151
  • アクセス:JR身延線富士宮駅バス亭の4番乗り場で粟倉万野線に乗車、万野団地入口バス停で下車(約9分・運賃250円)、バス停から徒歩約1時間。
  • 営業時間:境内散策無料で、村山浅間神社案内所は10:00〜15:00、土・日曜、祝日のみ開館。
  • 電話番号:0544-22-1489 企画部 富士山世界文化遺産課 企画係
  • 駐車場:8台駐車可能、近くのスポーツビレッジ村山ジャンボ駐車場約100台も可能です。
  • 公式サイトURL:http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/fujisan/llti2b0000001lrf.html

5.須山浅間神社 【静岡県 裾野市】

須山浅間神社の鳥居と参道

【須山浅間神社の鳥居と参道】
須山浅間神社・富士山南口下宮は、須山口登山道の起点になった神社です。須山口と須山登山道の歴史は古く、室町時代の歌人であり、京都聖護院門跡であった道興の「廻国雑記」に、1486年(文明18年)に「すはま口」を訪れて「よそにみし ふしの白雪 けふ分ぬ 心の道を 神に任せて」の一首が詠まれています。

1524年(大永4年)の棟札(むなふだ=神社の新築や修理の際、工事の由緒・年月日・建築者などを記した木の札)が神社に残されているため、室町時代後期(戦国時代)には、須山浅間神社が存在していた事が分ります。又、同社に武田信玄の父(信虎)が、富士宮本宮浅間大社に宛た立願状が奉納されています。武田信虎が今川氏の元に追放されたのが1541年(天文10年)なので、立願状が書かれたのはそれ以前だと分ります。

これらの文献により、少なくとも15世紀後期には、須山浅間神社を拠点とする須山口登山道が存在し、富士山信仰が起こっていた事は確かです。

江戸時代になると神主1人、御師12人がいて、名主や主要百姓がその職に当たり、富士講の道者を泊めるための宿坊が経営されていました。


須山浅間神社の拝殿・本殿

【須山浅間神社の拝殿・本殿】
覆殿内の本殿は、1823年(江戸時代後期・文政6年)に再建され、拝殿は2013年に改修されたものです。

写真には写っていませんが、拝殿右手側に覆屋が建ち、1611年(慶長16年)建立の古宮の小社が安置されています。


杉の御神木

杉の御神木
境内を囲む社叢には、樹齢400〜500年以上の杉の巨木が20本以上あります。
幹の太さが7メートルを超えるものがあり、静岡県神社庁から御神木指定証が発行されています。


平成に入り復活した須山浅間神社からの須山口登山道マップ
※クリックで拡大
須山浅間神社からの登山道
写真は、平成に入ってから須山口登山道と下山道が整備されたルートです。平成12年には一合目の須山御胎内(世界遺産構成資産)が復活しています。

※須山振興会・須山口登山道保存会発行パンフレットより転載

基本情報
  • 名称:須山浅間神社・富士山南口下宮 (富士山世界文化遺産構成資産)
  • 祭神:木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)、相殿に天津彦火瓊々杵命(あまつひこほのににぎのみこと)・天津彦火々出見命(あまつひこほほでみのみこと)・大山津見命(オオヤマツミのミコト)・天熊大人命(あまくまうしのみこと)を祀る
  • 祭り:春祭りが4月17日前の日曜日と11月23日
  • 住所:〒410-1231 静岡県裾野市須山柳沢722
  • アクセス:御殿場駅から富士急バスの十里木・ぐりんぱ行きに乗車25分、津土井バス停下車徒歩5分。又は、三島駅から富士急バスで須山、ぐりんぱ、イエティ方面行き乗車約40分、須山バス停下車。
  • 営業時間:境内参拝無料で、24時間開放
  • 電話番号:055-995-1825 裾野市観光課
  • 駐車場:5、6台の無料駐車場あり

6.東口本宮冨士浅間神社 (須走浅間神社) 【静岡県 小山町】

東口本宮冨士浅間神社の随神門

東口本宮冨士浅間神社の随神門
入口近くの「信しげの滝」から響く心地よいせせらぎの音を聞きながら参道に入り、富士山の別名「不二山」と書かれた鳥居をくぐります。左手の手水舎でお清めを済ませ立派な随神門をくぐります。

2階建ての随神門を「楼門」と呼び、門の右に「櫛岩窓神」が、左に「豊岩窓神」が随神として配神されています。現在の楼門は、明和4年(1767年)のものと考えられています。

楼門の間から姿を見せているのが社殿(本殿・幣殿・拝殿が一体となった権現造)です。


東口本宮冨士浅間神社拝殿

【東口本宮冨士浅間神社拝殿】
神社由諸は、平成時代の初頭、延歴21年(802年)の富士山の鎮火を祈願した祭場の跡地に現在の社殿が作られたことが始まりと言われています。創建は、噴火の5年後の大同2年(807年)と伝えられています。

古くから富士信仰登山の拠点として多くの信者が集まってきました。 特に江戸時代になると富士講が盛んになり、須走の宿場町と共に江戸庶民の登拝者で栄え賑わったといいます。

社務所の2階は富士講に関する資料館となって歴史的価値の高い各種古文書や御師が使用した道具などが一般公開(無料)されています。

平成25年に富士山構成資産として世界文化遺産に登録されました。



富士講講碑郡

【富士講講碑郡】
東口本宮冨士浅間神社の一角に、 明治より昭和にかけて各地の富士講より寄進された記念碑が数多く残されています。

基本情報
  • 名称:東口本宮冨士浅間神社
  • 住所: 〒410-1431 静岡県駿東郡小山町須走126番地
  • アクセス:JR御殿場駅より富士急行バス「須走・富士学校」「河口湖」行で 「須走浅間神社前」下車
  • 電話番号:0550-75-2038
  • 駐車場:広い無料駐車場あり
  • 公式サイトURL:http://www.higashiguchi-fujisengenjinja.or.jp/ 

7.河口浅間神社 【山梨県 富士河口湖町】

河口浅間神社の大鳥居

【河口浅間神社の大鳥居】
富士山世界遺産に登録された他の神社は「センゲン」と呼びますが、ここはカワグチアサマジンジャといいます。浅間大神(木花開耶姫命)を御祭神とし、864年(貞観6年)5月の富士山大噴火を契機に、翌年865年に北麓に始めて建立された浅間神社であると伝えられています。

当地河口は、室町時代以降は鎌倉街道を通り、御坂峠を越えて富士山に登るための道者が宿泊する拠点となる御師集落が形成されていました。鎌倉街道は、甲斐路・御坂路とも呼ばれ、甲府盆地以西・以北の人々が富士山の参詣路として利用しました。

江戸時代の終わりまで鎌倉街道の沿道には、馬頭観音・道祖神・道標などの石造物が見られ、往時の賑わいの一端を垣間見ることが出来ます。


河口浅間神社の参道大杉と波多志神社

【参道大杉と波多志神社】
参道脇には根回り7m、樹高45m、樹齢800年の大杉が整然と立ち並び、神社の歴史の古さを物語ると共に荘厳な雰囲気が漂います。 参道中央に波多志神社の小さな祠が祀られています。


河口浅間神社 手水舎と随神門

【手水舎と随神門】
随神門の左手前に手水舎、右手に社務所があります。随神門をくぐった社叢には7本杉と呼ばれる樹齢1000年を超える巨木があります。それぞれに神綿(しんめい)、齢鶴(れいかく)、産射(うぶや)、御爾(みしるし)、父母(かずいろ)、天壌(てんじょう)と名前が付いて山梨県の天然記念物にも指定されています。


河口浅間神社

【河口浅間神社の拝殿】
拝殿の周辺には「連理の楓」や大正2年11月11日に北白川宮成久王が 植樹した松が残っています。


河口浅間神社の本殿

【河口浅間神社の本殿】
御祭神は木花咲耶姫命、瓊瓊杵尊、大山祇命。本殿は1606年(慶長11年)に火災により焼失しましたが、翌年徳川家の家臣で領主の鳥居土佐守成次により再建されました。一間社流造り、唐破風付向拝備う、宮大工関左衛門尉藤原家継等で完成。

「河口の稚児の舞」は、毎年4月25日の例大祭「孫見祭」と7月28日の「大々御神楽」に奉納され、舞手は河口地区の7歳から12歳の少女が行います。もともと江戸時代に河口の御師が奉納していたもので、「神小の舞」の形態を残したものと考えられています。山梨指定無形民俗文化財及び文化庁長官から「記録作成などの措置を講ずべき無形の民俗文化財」などに選択されました。


河口浅間神社の美麗石(ヒイラ石)

【河口浅間神社の美麗石(ヒイラ石)】
 拝殿前に置かれた石祠は、「美麗石」(ヒイラ石)と呼ばれ、歴史書『日本三代実録』の貞観7年12月9日の条文に、浅間明神を初めて祀った古代祭祀の石閣と伝えられています。「石をもって造営された祭祀は彩り美麗で言葉で言い表せないほどだ」と書かれています。


河口浅間神社 母の白滝

【河口浅間神社の母の白滝】
河口浅間神社から寺川に沿って35分程三ツ峠山登山ルートを登ると「母ノ白滝」があります。河口浅間神社末社の小祠が鳥居の先に祀られています。かつて道者や富士講信者たちが富士登拝の安全を願って、水垢離を行い身を清めた場所です。


河口浅間神社

【河口浅間神社の末社】
河口浅間神社の境内には「山神社」、「諏訪社」、「出雲社」などの末社が祀られています。

基本情報
  • 名称:河口浅間神社 (富士山世界文化遺産構成資産)
  • 住所:〒401-0304 山梨県南都留郡富士河口湖町河口1
  • アクセス:富士急行線河口湖駅から富士急バス乗車。「河口局前」バス停下車。 所要時間約10分。
  • 営業時間:境内散策無料で通年
  • 電話番号:0555-76-7186
  • 駐車場:1専用駐車場有り(バス10台・普通40台)、参拝者は無料

8.冨士御室浅間神社 【山梨県 富士河口湖町】

冨士御室浅間神社の大鳥居と参道

【大鳥居と表参道】
大鳥居をくぐると表参道が隋神門に向かって真直ぐに200メートルほど続いています。参道の左手に本宮本殿、隋神門をくぐった先に里宮本殿、左手に社務所、右手に勝山歴史民俗資料館があります。

参道を進み、随神門手前で振り返ると、直線的に伸びた参道の先に富士山がちょうど見えるような配置になっています。


冨士御室浅間神社の隋神門と社務所

【隋神門と社務所】
隋神門の左手の建物は社務所、門をくぐると里宮社(里宮本殿)です。社務所には宮司さんが常駐しています。


冨士御室浅間神社の本宮本殿

【本宮本殿】
富士山最古の社とされる本宮本殿は、699年(文武天皇3年)に藤原義忠公によりが富士山二合目に奉斉したものと伝わっています。本宮本殿は、国の重要文化財に指定されています。

近年の発掘調査により、二合目境内から12世紀頃の遺物が見つかり、行者堂があったこともわかっています。行者堂には役行者像が安置されていたことから、富士山北口の修験道の拠点であったと考えられます。

もともと富士山の修験道の発祥は、平安時代末期の末代上人によって広められた村山修験が始まりで、富士山西南麓の富士山興法寺(現村山浅間神社)を拠点としていました。その後、13〜14世紀になると北麓においても冨士御室浅間神社を中心に修験道が広まったものと考えられます。

本宮本殿は富士山二合目にあったため、度重なる噴火による炎上と自然環境が厳しく腐老が進み、そのたびに皇室や武田家などにより修復が重ねられて来ました。

現在の本宮本殿は、1612年(慶長17年)徳川家の家臣で鳥居成次が大改修を行った本殿を永久保存のために、1974年(昭和49年)に河口湖の南湖畔の当地に移設したものです。


冨士御室浅間神社里宮拝殿

【里宮拝殿】
956年(天徳2年)村上天皇による建立と伝えられています。現在の建物は1868年(明治22年)に再建されたものです。


冨士御室浅間神社里宮本殿

【里宮本殿】
戦国大名の武田家、小山田家、徳川家などの祈願所として手厚い庇護を受け、富士山鎮護や信仰登山、開運の護り神としての歴史があります。


冨士御室浅間神社百福の龍宝珠

【百福の龍宝珠】
宝珠は災難を除き、濁り水を清くする徳があるとされ、龍の宝珠に国家地域の繁栄を祈願したと言われています。


冨士御室浅間神社神使いの撫牛

【神使いの撫牛】
境自分の病気の悪い部分を撫でた後でこの牛の同じ所を撫でる病気が治ると言われる牛です。頭や角を撫でると頭が良くなり学業が伸びるといいます。お腹の部分を撫でると小授けや安産に良いとされています。


冨士御室浅間神社

【勝山歴史民俗資料館】
冨士御室浅間神社境内の一角にあり、武田晴信や武田信玄が娘の安産を祈願した願文など山梨県の有形文化財が展示保管されています。入館は事前予約が必要で、見学希望の場合は富士河口湖町教育委員会(0555-72-6053)に連絡してください。

基本情報
  • 名称:富士御室浅間神社 (富士山世界文化遺産構成資産)
  • 住所:〒401-0310 山梨県南都留郡 富士河口湖町勝山3951番
  • アクセス:富士急行河口湖線河口湖駅から湖畔周遊レトロバスで10分 冨士室浅間神社下車
  • ご祈祷受付時間:午前9時〜午後4時。境内散策無料。
  • 電話番号:0555-83-2399
  • 祈祷料金: 五千円から
  • 流鏑馬 : 4月29日武田流流鏑馬神事が行われます。
  • 駐車場:約50台駐車可能、参拝者は無料
  • 公式サイトURL:http://fujiomurosengenjinja.jp/

9.御師住宅(旧外川家住宅) 【山梨県 富士吉田市】

金鳥居と富士山

【金鳥居と富士山】
江戸時代富士講の発展と共に多くの御師屋敷が軒を並べた上吉田宿(現富士吉田)の町並みです。富士吉田市の中心的シンボルである金鳥居は、国道139号線に立っています。金鳥居が立っている場所がかつての上吉田宿の入口に当たり、下宿・中宿・上宿に区分されていました。金鳥居が最初に立てられたのが1788年(天明8年)のとこです。

この場所から北口本宮冨士浅間神社でお参りを済ませ、吉田口登山道を多くの道者(導者)が富士山頂を目指しました。

入山に際しては、山役銭(入山料)が必要でした。不浄祓い料三十二文、二合目役行者賽銭十二文、金剛杖料八文、五合目役銭三十二文、九合目鳥居御橋十四文、頂上薬師ヶ岳二十文、合計百二十文が必要でした。かつては、それぞれの場所で支払っていましたが、登山者の煩いを省くために、時代が下ると御師に一度にまとめて支払い、切手を渡されました。


明治時代の上吉田地区の御師屋敷群と北口本宮冨士浅間神社図

【明治時代の上吉田地区の御師屋敷群と北口本宮冨士浅間神社図】
江戸時代に栄華を極めた富士講信者の宿泊する場所として宿坊街「御師町」が形成されていました。御師というのは、富士浅間神社に所属し神職の資格を持つ宗教者で、、富士山に登山する富士道者へ富士の霊験を説き、富士登山の意義とご利益を宣伝し、自らの住宅を御師坊として提供し、登山の案内、祈祷など一切を請け負う人のことです。江戸時代の最盛期には上吉田の町に86軒の「御師の家」が建ち並んだといいます。

江戸時代には、講に属さずに寺社参詣の旅をする事はなかなか困難でした。そのため講元と御師が密接に連携し、今で言う団体旅行専門の旅行会社が営利目的で事業を行うのと全く同じ様な事が行われていたと言えます。

寺社参詣の旅であれば、江戸幕府から簡単に通行手形が降りたのも、富士講が栄えた理由で、女人禁制の富士登山は、宿坊街の一角にあった遊所・遊郭などで女郎買いがセットになった男だけのひそかな楽しみの一つでもあったと言えます。

上吉田の街ばかりではなく、各登山口には信仰登山口集落が形成されていました。御師の数は年代により各集落とも変動はあるものの、最も多い時で、川口村(現河口湖町)が圧倒的に多く140人、須走村17人、修験道の拠点であった村山郷は70人、大宮口は30人ほどであったといいます。

関東からの道者は甲州街道で甲斐の国(山梨県)へ入り、大月宿から吉田口へ向かうルートを辿りました。一方、甲府や信州(長野県)など北側からの道者は、鎌倉街道(甲斐路・御坂路)を使い御坂峠を越え川口村(現富士河口湖町)へ入り、御師坊で宿泊し、翌日に河口浅間神社(カワグチアサマジンジャ)を参拝して、船津口登山道を登るのが一般的でした。


御師 旧外川家住宅

御師宿坊 旧外川家住宅
旧外川家住宅の主屋は1768年(明和5年)建築で、御師住宅の最古の遺構です。国指定の重要文化財に指定されています。御師屋敷の多くは短冊状を成し、表通りに面して細長い導入路(タツ道)を設け、敷地を流れる水路の奥に住宅、宿坊の建物を持つ御師を本御師といい、表通りに面して建てられた御師屋敷を持つ御師を町御師といいました。

「御神前の間」など当時の特徴的な造りをふじさんミュージアム-富士吉田市歴史民俗博物館の附属施設として見学出来ます。


屋敷構成

屋敷構成
建物は奥行き80間(約145m )ほどの細長いや敷地に建てられています。入口側を主屋、廊下を介して奥側を裏屋敷と言います。主屋は1768年(明和5年)に建てられたもので、裏屋敷は富士講の道者の増加に伴い、約90年後の1860年(万延元年)に増築されたものです。

登山シーズンには一晩100人ほどが宿泊したようで、廊下にまで布団をひいて雑魚寝していたそうです。現在でも、北アルプスなどの人気の山域の山小屋に共通する部分があります。

御師屋敷の一泊の宿泊料を現在の価格で8000円とすると、60日間が登山の対象になるとすれば、ひと夏で4800万円の収入があったと思われます。御師の仕事は夏に集中しますが、冬季の暇な時期には、契約している各富士講の檀家周りを行い、御札を配るなど、営業活動も怠らなかったようです。


御神殿

御神殿
富士登拝の前に祈祷が行われた神殿は、三つの扉が設けられた三社造で、富士山の神・木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)を中央に祀っています。三方や餅などの作り物は、浅草の丸鉄講などが寄進したものです。向かって左の棚には、食行身禄の木像が安置されています。この像は文化7年(1810年)に山信講の真行妙中が奉納したものです。


道者装束

道者装束
富士講の道者は白ずくめの服装に特徴があります。胴に腹掛をして、行衣(ぎょい)という丈の短い上衣、下衣は股引(ももひき)に脚絆(きゃはん)、足は足袋に草鞋を履き、頭には鉢巻きを巻く。左手展示物では約2.3mの長い晒(さらし)を宝冠という独特な形に巻いています。これは御中道巡りをする先達などがかぶる形です。

基本情報
  • 名称:御師住宅(旧外川家住宅) (富士山世界文化遺産構成資産)
  • 住所:〒403-0005 山梨県富士吉田市上吉田3-14-8
  • アクセス:富士山駅から徒歩5分
  • 営業時間:午前9:30〜午後5:00(入館は4:30迄)
  • 電話番号:0555-22-1101
  • 入館料金: 100円、ふじさんミュージアム+富士山レーダードーム館+御師屋敷の共通入場券は700円
  • 駐車場:普通車15台、バス2台駐車可能、見学者は無料
  • 公式サイトURL:http://www.fy-museum.jp/

10.御師住宅(小佐野家住宅) 【山梨県 富士吉田市】

御師宿坊・小佐野家

【御師宿坊・小佐野家複製】
御師宿坊・小佐野家非公開のため入れませんが、復元された建物がふじさんミュージアム敷地内にあり、無料で見学出来ます。

13.14.15.16.17.18.19.20.忍野八海 【山梨県 忍野村】

長谷川角行の富士八海と忍野八海

「忍野八海」は、平安時代から神事や富士修験の禊地として利用されて来ました。 しかしこの時代、忍野八海という名前はなく、江戸時代の天保の飢饉がこの名前の誕生の由来と考えていいでしょう。

当時高冷地である忍草の地は、天保の飢饉で村民の3分の1に当たる約140人が亡くなったと東円寺の過去帳に記述が見られます。

この惨たんたる状況を見かねた大寄友右衛門(市川大門の長百姓)は、村起こしの一環として、当時、隆盛を極めていた富士講に目を付けます。江戸から大挙して訪れる富士講の信者たちは、北口本宮冨士浅間神社の門前町として発展した80軒以上ある御師屋敷を拠点にして、吉田口登山道を登るのが一般的でした。

大寄友右衛門は、その多くの信者たちをこの地まで足を運ばせるにはどうすればよいか考えます。そこで、仏教・道教・陰陽道の教えに基づく「北斗七星」を取り入れ、冨士講の祖・長谷川角行(はせがわかくぎょう)が行った富士八海を巡拝する八湖信仰と結びつけた「富士山根元八海霊場」を作ることを思いつきます。

この地に沢山あった湧水から北斗七星の形になるように七つの池を選びます。それが現在観光地化した忍野八海と呼ばれる場所です。そして、約1km離れた所にある「出口池」を北極星として選びました。出口池だけが離れているのはこのためです。

忍草の地によりコンパクト化された富士八海の霊場を作るという思惑がピタリと当たり、江戸から従来の富士吉田へ抜けるルートではなく、「忍草」へ出る近道を通って多くの富士講参拝者が訪れることになります。これにより、村は一気に復興を遂げることになります。

明治初年の神仏分離令までは忍野八海は東円寺の管理下に置かれていました。人々は、忍草朝日浅間宮にお参りし、東円寺から登山許可の御朱印をいただき、入山料を納めて登ったと言います。

東円寺の管理下にあったため、富士吉田のように御師屋敷が発展したのではなく、忍野八海周辺に多くの宿坊が作られていた様です。現在では廃道になっていますが、当時はこの地から直接吉田口登山道へ抜けるルートが作られていたと言います。

忍野八海が世界文化遺産富士山構成資産として登録されたのには、東円寺の古文書が決め手になった様です。(世界文化遺産の登録要件として、ただ単に景観が美しいというのではダメで、歴史的、文化的要素が必要です。)

※ 上記内容は、東円寺住職より直接説明を受ける。


13.出口池 (忍野八海)

出口池

出口池(でぐちいけ)は、世界文化遺産富士山構成資産13、第1番霊場、祭神:難陀竜王です。忍野八海の中で最も大きな沼湖です。山側に出口稲荷大明神の神社が祀られています。前述したように他の七つの池から約1km離れているため、訪れる人はまばらです。


14.お釜池 (忍野八海)

お釜池

お釜池(おかまいけ)は、世界文化遺産富士山構成資産14、第2番霊場、祭神:跋難陀竜王です。

釜の中から熱湯が沸騰する様に湧出することからこの名が付いたとされます。 忍野八海の中では最も小さな池ですが、その水深は深く豊富な水量で、青く透き通っているのが特徴です。

この池に残る伝説には、「巨大なガマガエルが、池で洗濯している美しい娘を池に引きずり込み、家族が捜しても見つからなかった。以来、お釜池の畔に留まり娘の冥福を祈り過ごした。」というものです。この伝説から別名「大蟇(おおがま)池」とも呼ばれています。


15.底抜池 (忍野八海)

底抜池

底抜池(そこなしいけ)は、世界文化遺産富士山構成資産15、第3番霊場、祭神:娑加羅竜王です。

ほぼ楕円形の浅い池で、中央の最も深い所でも1.5mほどです。池底に泥が厚く堆積しているため、正確な深さは不明です。

昔からこの池で洗い物をすると器や野菜が行方不明になり、近くのお釜池に浮かび上がるといます。そのため、村人たちの間ではこの池で洗い物をすることは神様の祟りを買うことになると恐れられたと伝わっています。これは、お釜池と底抜池が地下水脈でつながっているからだと考えられています。

榛の木林資料館内にあり、見学は有料(300円)です。


16.銚子池 (忍野八海)

銚子池

銚子池は、世界文化遺産富士山構成資産16、第4番霊場、祭神:和脩吉竜王です。

酒を注ぐ銚子の形に似ていることからこの名が付いたとされています。池の底から砂を巻き上げて伏流水が湧き出しているのが見えます。

「その昔、祝言の席で大きなおならをしてしまった花嫁は、恥ずかしさのあまり銚子を持ってこの池に身を投げてしまった。以降、この池の底に美しい花嫁の姿が浮かび上がる。」という伝説が元になって、現在では、縁結びの池となっています。


17.湧池 (忍野八海)

忍野八海-湧池

湧池は、世界文化遺産富士山構成資産17、第5番霊場、祭神:徳叉迦竜王です。

富士山に降った雪解け水を水源とし、池の北端の開口部から伏流水が長い年月をかけて地上に湧き出した湧水池です。

湧池は、忍野八海にある八つの池で、最も流水量が多く、セキショウモが煽られる姿は見事です。 その昔、富士山が噴火した時、水を求めて泣き叫ぶ人々に「私を信じ、私を敬うなら皆に水を与えよう」という富士山の神である木花咲耶姫のお告げがあり、しばらくして溶岩の間から水が湧出し、池になったという伝説があります。

古くから、富士山への登拝が行われ、神仏の霊力を獲得し、擬死再生を求める富士山信仰の文化的伝統が生まれました。江戸時代になると富士講が組織され、長谷川角行の教えである「富士八海」を巡拝する修行に代わって、より簡略化したここの八つの沼湖において水垢離による禊を行い登拝しました。その中心的な位置付けにあったのが「湧池」と言えます。そのため忍野八海のことを「富士山根元八湖」と呼ばれることもあります。

湧池から北西方向に地下水脈の伸び、木の枝のように派生しています。かつてダイバーが潜って調査しています。1987年、朝日テレビの2人のカメラマンが潜って死亡するという事件が起こりました。ダイビング中に泥を巻き上げ、水が濁ってしまうという地質的な特徴があるためルートを見失ったものと思われます。

忍野八海の八つの池は、昭和9年に国の天然記念物(文化財)、昭和60年に環境省により全国名水百選、平成6年に県新富嶽百景選定時にそれぞれ認定されています。 平成25年6月には富士山の世界文化遺産の構成資産になっています。

忍野八海の中で最も観光客が訪れる中心地と言える場所に大きな「中池」があります。しかし、この中池は富士山世界遺産に登録されていません。その辺の経緯については、富士山のおすすめ人気観光スポットをご覧ください。


18.濁池 (忍野八海)

濁池

濁池は、世界文化遺産富士山構成資産18、第6番霊場、祭神:阿那婆達多竜王です。

桜の花が両岸に咲く阿原川へ注ぐ澄んだ水が流れています。昔、みすぼらしい行者が一杯の水を求めて老婆の家を尋ねると、無愛想に断ったとたん、池の水が濁ってしまったという伝説があります。


19.鏡池 (忍野八海)

鏡池

鏡池(かがみいけ)は、世界文化遺産富士山構成資産19、第7番霊場、祭神:摩那斯竜王です。
ほぼ楕円形の浅い池で、中央の最も深い所でも1.5mほどです。池底に泥が厚く堆積しているため、正確な深さは不明です。

昔からこの池で洗い物をすると器や野菜が行方不明になり、近くのお釜池に浮かび上がるといます。そのため、村人たちの間ではこの池で洗い物をすることは神様の祟りを買うことになると恐れられたと伝わっています。これは、お釜池と底抜池が地下水脈でつながっているからだと考えられています。細長く小さな池で、水深も極めて浅いのが特徴です。風のない日には水面に富士山が映り込むためこの名が付いたとされています。伝説によると、すべての事の善悪を見極めると言われ、村内でもめ事が起こると双方がこの池の水を浴びて身を清め解決したそうです。


20.菖蒲池 (忍野八海)

菖蒲池

菖蒲池は、世界文化遺産富士山構成資産20、第8番霊場、祭神:優鉢羅竜王です。

細長い形の沼地のような池です。地下を流れる伏流水が僅かに染み出しているのみで水深が浅く、外来種のキショウブ(アヤメ科)やショウブ(サトイモ科)などの植物が見られます。

毎年旧正月の14日に筒粥の神事が行われ、五穀豊穣を占ったと伝えられています。また、重病を患った夫の体に、その妻がここの菖蒲を巻き付けたところ全快したという夫婦愛の伝説が残ります。


東円寺と忍野八海との歴史的関わり

東円寺の天井に描かれた龍

【東円寺の天井に描かれた鳳凰】
前述したように忍野八海は、江戸時代まで東円寺の所有地でした。しかし、明治新政府が発した神仏分離令に伴う廃仏毀釈によって土地は没収され、払い下げられ私有地となり、池のみが国が管轄することになります。そのため、私有地の中に国有地が存在するという奇妙な状態になっています。

「大寄友右衛門」によって忍野八海を「富士山根元八海霊場」とする画策が見事に当たったので、東円寺では各池に「八大竜王」を祀りました。現在では各池の畔に八大竜王の石柱が建っています。

東円寺の天井には立派な八卦と鳳凰が描かれています。安倍晴明で有名な陰陽道では、すべて陰と陽でできているという教えがあります。東円寺に描かれた鳳凰と、忍野八海に祀られている龍は、陰陽道の陰と陽の関係なのです。

最近では、忍野八海に海外からの観光客が多く訪れています。その中でも多いのが中国系の観光客です。日本人は忍野八海に水を見に来ますが、龍信仰を信じる中国系の観光客は、龍を見に来ると言われています。ドラゴンから多くのパワーをもらうためです。

基本情報
  • 名称:忍野八海 富士山世界文化遺産構成資産 (13〜17)
  • 住所: 山梨県忍野村忍草
  • アクセス:富士急行富士山駅から内野・膳棚方面行きバスで18分、忍野八海入口下車で徒歩3分。またはファナック経由平野行きバス・フジッ湖号で20分、忍野八海下車で徒歩3分。 詳細はこちら
  • 施設:池本茶屋、民宿並松荘、かやぶき茶屋、かまのはた、はんのき食堂
  • 営業時間:24時間オープンしています。
  • 電話番号:0555-84-4222 忍野村観光協会
  • 入園料金: 無料
  • 駐車場:近隣の民間有料駐車場を利用
  • 公式サイトURL:http://www.oshino.jp/spot_8lakes.php

21. 船津胎内樹型 【山梨県 富士河口湖町】

無戸室浅間神社(胎内神社)

【無戸室浅間神社(胎内神社)】
赤い鳥居をくぐり無戸室浅間神社内に入ります。
体内樹型の内部は、母の胎内・父の体内という二つの樹型からなり、総延長70mに及ぶ複合型溶岩樹型です。

溶岩樹型とは、溶岩が流れる際に樹木を取り込んで固まり、熱によって燃え尽きた樹幹の跡が空洞になったもので、穴の中が人体の内部に似ているものが「胎内」と呼ばれていて、信仰の対象になりました。体内樹型に入って出てくることで、「生まれ変わり、身が清まる」とか、「安産のご利益がある」とされていました。

船津胎内樹型は、承平7年(937年)に流下した「剣丸尾第一溶岩流」で形成されたものです。「剣丸尾溶岩流」は、約1000年前に富士山の北側斜面八合目辺りから噴出した玄武岩質溶岩が、幅1km、長さ20kmに渡って富士吉田市に達したものです。

船津胎内周囲には40基以上の樹型が確認されています。その歴史は古く、1617年に富士講の祖と言われる長谷川角行が穴の一つを発見し、浅間大神を祭ったと伝えられます。富士講信者によって、1673年に現在の船津胎内樹型が発見されました。その後、北口本宮冨士浅間神社を再建した事で知られる上村光清が、現在の本穴を発見し、入口付近に無戸室浅間神社の社殿を建てたとされます。

周辺に点在する溶岩樹型と共に1929年(昭和4年)に国の天然記念物に指定されました。


無戸室浅間神社(胎内神社)中央に開いた胎内樹型入口

【無戸室浅間神社(胎内神社)中央に開いた胎内樹型入口】
木花咲耶姫命を祀った祭壇の下に船津胎内樹型の入口があります。

江戸時代には富士講が隆盛を極め、江戸を中心として関東近隣から大挙して富士登拝を目指す人々が訪れました。その拠点となったのが御師の街として栄えた富士吉田市です。船津胎内樹型は、吉田口登山道途中の「中ノ茶屋」から西側に約50分 歩いた所にあります。多くの登拝者はこの船津胎内樹型に立ち寄ってから富士山を目指したと言います。 そのため、境内には富士講社から寄進された石造物も多く残っています。


母の胎内

【母の胎内】
総延長22mの横臥洞窟(狭くて低い溶岩樹型で、身を小さくして進みます)の先が「母の胎内」と呼ばれる空間になって、木花咲耶姫命像が祀られています。「この地が古事記にあるように木花咲耶姫命が出産した場所であると伝えられ、参拝時に使用した残りのロウソクをお産の時に灯すと安産になる」という言い伝えも残っています。


肋骨状の壁面

【肋骨状の壁面】
特に入口部分の壁面6m区間では内臓を取った胸腔を内側から見た様子に見え、岩が肋骨状に垂れ下がって見える所から「胎内」と称されています。又、幅2.8m、高さ1.2mある洞窟内の最も広い場所の天井に「乳房」の通称を持つ溶岩鍾乳石も認められます。


父の胎内

【父の胎内】
延長約15mの「父の胎内」に適々芸命像、子育観音像が祀られています。

基本情報
  • 名称:船津胎内樹型、河口湖フィールドセンター併設
  • 住所: 〒401-0301 山梨県南都留郡富士河口湖町船津6603
  • 営業時間:午前9時00分〜午後5時00分
  • 休館日:月曜日(祝日を除く)/ 6〜8月は無休
  • 電話番号:0555-72-4331
  • 料金: 小・中学生100円、 高校生以上200円
  • 無料駐車場:大型6台、普通車10台
  • 公式サイトURL:http://www.mfi.or.jp/sizen/shizen.html

22. 吉田胎内樹型 【山梨県 富士吉田市】

吉田胎内樹型入り口

吉田胎内樹型は、車道から八分ほど入った森の中にあります。鉄階段を登って赤い鳥居をくぐり森の中に入って行きます。駐車場で最も近いのが富士北麓公園です。入口が分りづらいので下に地図を掲載しておきます。

吉田口登山道の途中にある中の茶屋からも行けますが、約40分かかります。


平坦な登山道沿いにルートを示す掲示

ほぼ平坦な登山道沿いに写真の様なルートを示す掲示がなされています。やや踏み跡程度の所もありますが、道間違いはまず起こりません。


胎内神社の赤い鳥居

吉田胎内樹型の前に胎内神社と書かれた赤い鳥居が建てられています。


吉田胎内樹型

1892年に富士講信者(埼玉県志木市出身の丸藤講の先達である星野勘蔵(行名は日行星山))によって発見された吉田胎内樹型は、船津胎内樹型と同様に承平7年(937年)に流下した「剣丸尾第一溶岩流」によって形成されたものです。洞内には富士山の神様である木花咲耶姫命が祀られています。また、入口周辺には富士講碑が多数祀られています。

周辺には60を超える樹型があり、これらを含めて国の天然記念物に指定されています。

普段は、洞窟入口に鍵が架けられ入ることはできませんが、4月29日の吉田胎内祭には、鍵が開けられ入場が許可されます。白装束に身を包んだ富士講の人々や富士吉田市の関係者が見守る中で北口本宮冨士浅間神社の神官によって祝詩が唱えられます。次いで富士講の人々によってお焚き上げが行われ、先達は祝詩の書かれた焚符を唱えます。神事が終了すると直会が執り行われます。



23.人穴富士講遺跡 【静岡県 富士宮市】

人穴富士講遺跡

【人穴富士講遺跡】
人穴は、富士宮市郊外の朝霧高原にあり、写真の石柱間を入り、階段を50mほど登った所に建つ人穴浅間神社境内右手にある溶岩洞窟です。「犬涼み山容岩流」によって形成されたもので、長さ約90メートルあります。現在、内部は崩落の危険性があるために立ち入り禁止です。写真の手前側に広い駐車場、手前左手に公衆トイレと人穴富士講遺跡案内所があります。

鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」に「人穴」の記述が初めて出てきます。それによると、「1203年(建仁3年)に頼朝の子・頼家(2代目将軍)が富士の巻狩りの際、部下の仁田四郎忠常に人穴の探索を命じます。仁田四郎忠常は郎党5人とともに人穴に入るが、4人の郎党は死亡し、忠常は翌日やっとの思いで人穴から抜け出すことが出来た。」というのです。後に古老に聞くと、人穴は「浅間大菩薩の御在所」なのだといます。源頼朝の富士の巻狩りの最中、曽我兄弟の仇討ちがあった建久4年から10年後のことです。

次に「富士の人穴草紙」なる本が出版されます。この本は、仁田四郎忠常が人穴に入り浅間大菩薩の導きによって様々な怪奇現象を体験するという物語です。室町時代には人穴は、この本により知る人ぞ知る名所となっていきます。

時代は下り、戦国時代末期の1558年(永禄元年)から、富士講の開祖・長谷川(藤原)角行が人穴で1000日間の修業を積み、独自の教義・仙元大日信仰を開いたことで、富士講の聖地とも言える場所になっています。角行は、生涯この場所を拠点として、富士山中腹をめぐる御中道と富士八海で身を清める水行修行を行い、江戸を中心に教えを説いて回ったことで江戸庶民の間で富士講が爆発的なブームを呼ぶことになります。境内には富士講の人々が建立した234基の石塔が残っています。


人穴浅間神社

【人穴浅間神社】
御祭神:木花開耶姫命・源家康朝臣(徳川家康)、藤原角行。
人穴浅間神社の創建は、はっきりとした事分りませんが、平成13年の発掘調査により、洞穴の直上にあった建物(大日堂と思われる)や参道は明治元年の神仏分離令に伴う廃仏毀釈により破壊され、その遺構のみが確認出来ています。

明治以降は浅間神社として壮大なる社殿を建立し、御三体を御祭神として祀りました。昭和17年陸軍により人穴部落と共に強制移転させられましたが、昭和29年(1954)氏神社として彼社殿を建立し復興しました。 現在の社殿は平成13年に建立されたものです。


人穴富士講遺跡

【人穴富士講遺跡の入口】
柵が設けられ立ち入り禁止になっています。下の写真は、柵の所から洞窟入口を写したものです。


人穴入口

【人穴入口】
洞窟入口から石段を31段下ると、高さ1.5m、幅3メートルの洞口が水平に伸びています。20メートルほど進むと少し広い空間になり、祭壇が設けられ、角行が居住し行場とした場所となります。更にその先に、左ドッグレッグする様に40メートルほど進んだ所が洞窟の終わりで浅間大神碑が祀られています。角行は、人穴を成仏した者の集まる所・仏がいる清らかな所として”浄土”と呼んでいました。


富士講碑塔群

【富士講碑塔群】
人穴浅間神社隣に234基の墓標、石灯籠、石仏、石祠、門柱、鳥居などが林立しています。そのほとんどが各講ごとにまとまった富士講碑です。

基本情報
  • 名称:人穴富士講遺跡
  • 住所: 〒418-0102 富士宮市人穴206
  • アクセス: JR身延線富士宮駅バス停(2番乗り場より白糸線)で白糸滝バス停で下車[約24分・運賃600円]。少し歩いて、白糸滝入口バス停(河口湖線)からバスを乗換、畜産試験場北口バス停で下車[約12分・運賃300円]。そこから徒歩で約35分。
  • 営業時間:公衆トイレに併設された人穴富士講遺跡案内所は土・日・祝日(10時〜15時) のみ開館。 開館時は、富士山世界文化遺産ガイドが常駐しています。
  • 電話番号:[平日] 富士宮市役所(代表) : 0544-22-1111 [休日] 人穴富士講遺跡案内所 : 0544-52-1620
  • 料金: 無料
  • 無料駐車場:普通車40台、バス5台駐車可能。
  • 公式サイトURL:http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/fujisan/llti2b0000001br3.html

24.白糸の滝 【静岡県 富士宮市】

白糸の滝

【白糸の滝】
白糸の滝は、高さ約20メートルの馬蹄形に弯曲した絶壁から富士山の湧水が湧き出す神秘的な秀麗な滝です。最も太い滝は、富士山の湧水を水源とする芝川から流れ落ちたものです。その他の細い滝は、溶岩層の隙間から湧出しているものです。

優美な水の流れはまるで絹糸のように女性的な美しさを見せることから、昭和11年(1936年)に国の名勝及び天然記念物に指定されました。

富士山は古代から活発に噴火を繰り返す山であり、人々は富士山を畏れ敬い、山そのものを神として祀ることで、富士山信仰が始まります。

奈良時代の終わりには、役行者を開祖とする修験道が活発化します。修験道は、日本古来の山岳信仰と密教・道教が結びついたもので、深く山に入り霊力のようなものを身につけるため修行を行います。

富士山においては12世紀の中頃、末代上人が開祖とされ、村山に興法寺が成立し、修験道の拠点となりました。江戸時代の中期以降、講を組織して富士山に登る富士講が隆盛します。その中心となった長谷川角行は白糸の滝で修行を行います。そのため白糸の滝は信者の信仰を集め、参詣や修行などが行われました。そのことが世界遺産「富士山」の構成要素とされ、白糸の滝が構成資産となる理由です。

滝つぼの脇には食行身禄の碑が建っています。これは天保3年(1832年)、富士講の中興の祖・食行身禄の百回忌供養として造立されたものです。


白糸の滝と富士山

【白糸の滝と富士山】
展望台から見下ろす白糸の滝と遠景に聳える富士山。岩壁の途中から水が流れ落ちているのが観察出来ます。周辺の地質は、上部に水を透しやすい新富士火山の白糸溶岩流地層があり、下部に水を透しにくい古富士泥流堆積地層があります。富士山から流れ出す雪解け水が上部地層の内部や層の境界に沿って流れ下っていると考えられるからです。


音止の滝

音止の滝
音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ、白糸の滝の東側を流れる芝川の本流が落ちる滝です。落差約25m、幅約5メートルで、水量は富士山に降る雪や雨の量によって大きく左右されます。白糸の滝同様の地層が観察され、主爆の他に崖面から湧水が流れ落ちる様子を見られます。

音止の滝の名前の由来は、今から800年(建久4年5月28日)ほど昔、源頼朝が富士山の南麓で巻狩を行った最中に、曽我兄弟(曽我の五郎・十郎)が父・河津三郎祐泰の仇・工藤裕経を殺害するという大事件「曽我兄弟の仇討」が起こりました。

殺害の立案を父の陣屋近くの隠れ岩で相談した際、近くの滝の音で声が遮られ密談しにくかったため、神に念じた所、滝の音が一瞬ぴたりと止み、無事に討ち入りの相談が出来た。という伝説からこの名が付いています。

基本情報
  • 名称:白糸の滝・音止の滝 (富士山世界文化遺産構成資産)
  • 住所:静岡県富士宮市上井出・原(上井出273-1 白糸の滝駐車場)
  • アクセス: JR身延線富士宮駅下車、富士急静岡バスで「白糸の滝」行き乗車約30分、「白糸の滝観光案内所前」停留所下車、徒歩約10分
  • 営業時間:24時間入れます。
  • 電話番号:0544-27-5240 富士宮市観光協会
  • 駐車場:民間・公営駐車場など複数ヶ所あり。民間駐車場は200円〜300円。公営駐車場、午前8時30分から午後5時まで 駐車料金(1回) 普通車500円 バス1000円 バイク200円  駐車場電話番号 0544-54-2880。
  • 公式サイトURL:http://www.city.fujinomiya.shizuoka.jp/kankou/llti2b00000018ez.html

25.三保松原 【静岡県 静岡市】

三保松原と富士山

【三保松原と富士山】
三保松原は、北東方向に伸びた長さ6kmの砂嘴(さし)です。初めは島であったものが江戸時代になると陸続きとなります。約7キロの海岸線に3万本あまりの松が茂る、日本三大松原の一つです。

三保松原から見る富士山の眺望は、「万葉集」をはじめ、数多くの和歌の歌枕となり、16世紀以降は三保松原と富士山を描いた多くの絵画作品のモチーフとして取り上げられるなど、文化・芸能・絵画などの様々な芸術を生み出す「源泉」でした。

又、富士山への登拝の道筋に位置付けられた重要な霊地でもありました。松原、砂浜、海の彼方に富士山が聳える風致景観は極めて日本的な原風景であり、名勝に指定されています。また、謡曲『羽衣(はごろも)』の舞台にもなりました。

三保松原だけが富士山から40km以上離れた場所にあるにもかかわらず、富士山世界遺産に登録されたのは、平安時代から続く芸術の源泉・信仰の対象として三保松原が富士山と深く結びつき、日本人の感性として富士山と三保松原は一体であるという日本的価値観が認められたからに他なりません。


羽衣の松

【羽衣の松】
天女が舞い降りて羽衣をかけたという「羽衣伝説」で有名です。現在の松は三代目で、樹齢200年ほどと言われています。

羽衣伝説
地上に舞い降りた天女が砂浜の松に懸け忘れた羽衣を漁夫白龍に拾われ、それを返してもらうために天人の舞を舞うというのが「羽衣伝説」です。

天女は漁夫から羽衣を返してもらい、愛鷹山や霊峰富士山を見下ろし自ら昇天して行きます。


三保松原 神の道

【神の道】
御穂神社の正面から羽衣の松に向かって、樹齢200年の老松並木が500メートル続く神聖な参道です。神様が別宮である羽車神社から御穂神社へ来臨する通り道とされています。

夜にはライトアップされ、幻想的な雰囲気を作り出します。恋人とのデートコースにも最適で、急接近もあるかも。


御穂神社

【御穂神社】
御穂神社の御祭神は、己貴命 (三穗津彦命) 三穗津姫命で、戦国時代には今川義元の庇護を受け、今川義元自身も三保を訪れ和歌を呼んでいます。江戸時代の三保松原一帯は、御穂神社の領地として徳川家康をはじめとした歴代将軍によって庇護を受けていました。

1668年(寛文8年)、落雷のためことごとく消失し、現在の社殿は仮宮として建てられたものではあるものの、江戸時代中期の代表的な建物として静岡市の有形文化財に指定されています。

古く江戸時代、御穂神社へ詣でる人々は船で三保半島まで渡っていました。


御穂神社の神馬

【御穂神社の神馬】
三保半島全域に多いときで10数頭の野生馬がご神馬として生息していたと言います。この神馬は、安永の火災の折静岡浅間神社より逃げてきた2頭の内、そのまま当地に残った1頭と言われています。特に子育てに験があると言われ、子供の守り神、又何でも叶う叶え馬として信仰されています。


基本情報
  • 名称:三保松原
  • 住所:静岡市清水区三保1338-47
  • アクセス:JR 清水駅前3番乗り場からしずてつジャストライン「三保山の線」で、東海大学三保水族館または三保車庫行きに乗車し、三保松原入口下車(22分360円)徒歩10分。土日祝日は、世界遺産三保松原行きバスに乗車し、世界遺産三保松原の神の道入口下車(25分、360円)徒歩1分。
    JR 清水駅から水上バス・路線バスを乗り継いでも行けます。
  • 施設:はごろも情報ひろば「みほナビ」開館時間午前9時〜午後4時、年中無休で入定無料です。
  • 営業時間:三保松原、御穂神社は24時間開放しています。
  • 電話番号:静岡市観光交流文化局 観光交流課 054-221-1310
  • 駐車場:羽衣の松無料駐車場200台駐車可能
  • 公式サイトURL:http://www.shizuoka-citypromotion.jp/mihonomatsubara/ 

参考文献
富士山須山口登山道調査報告書 裾野市教育委員会・裾野立富士山資料館
富士講の歴史・江戸庶民の山岳信仰
名山の日本史
富嶽人物百景 富士吉田市歴史民俗博物館
富士八海をめぐる 富士吉田市歴史民俗博物館
まるごと富士山みんなの富士山  宝島社
図説富士山百科 富士山ノ歴史と自然を探る 新人物往来社
富士山村山古道を歩く 著者:畠堀操八
富士を登る 吉田口登山道ガイドマップ 富士吉田市歴史民俗博物館


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